第23回「Destination Unknown/精神の旅路(3)」

 無人のホームを通過してゆく寝台特急はやぶさ。ずいぶん昔に廃止されたはずだが、まだ残っていたのか
 そして私は此の夢の続きを知っている。このままホームを歩いていくと突端の方に何故か昔の団地みたいな暗く青っぽい灰色をしたバスタブにお湯が張ってあって、そこに日に焼けたショートカットの可愛い女の子が入っている
 年は子供の私と同じくらいだったが顔も名前も思い出せない。たぶん顔も名前も知らない子だ。彼女は何も言わず子供の私を見てニコニコ笑っている。裸ではなく服を着たまま湯船に浸かっている。だが私も彼女もそれを疑問に思うことはない。ただ暗い空に湯気が立ち込めて綺麗だなと思ったことと、そのとき上空に幾つもオーロラが見えたことを覚えている
 このオーロラの下には踏切があるはずだ。田舎の駅だから改札口を出てすぐ踏切になっている。この改札口のコインロッカーには赤ん坊が捨てられたまま死んでいた。私はその死体を探しにここまでやってきた
 それが誰なのか、誰の子なのかもわからない
 ただ、私は踏切の上空に浮かんだオーロラが赤ん坊の顔になった瞬間、耳をつんざくような赤ん坊の泣き声を聞いて確信するのだ。
 コインロッカーの中に居る、と──
 そこから先の展開は夢を見るたびに違っていた
 赤ん坊が巨大な蜘蛛になって駅構内で襲い掛かって来るのを逃げ回ったり、意を決して開けたロッカーの中が空っぽだったり、走り去る母親らしき女を追いかけて見知らぬ田舎町の夜をさ迷ったり
 悪夢になったり、悲しい物語になったり、冷たい感触を浴びせられたり
 何年かに一度だけ現れるその夢は見るたびに形を、物語を、結末を変えてきた

 そして私は今、その終着駅に居る

 かつてこの夢に雪なんか降っていなかった
 老人の言葉がいつの間にか現れたオーロラと一緒に揺れる
「お前の心はどこへ繋がっていると思うね?」
「お前は精神を旅して来たな、この夢は何処に繋がっていると思うね?」
「私の心は、あのロッカーの中さ」
 とうとうホームの端までやって来たが改札口に向かう通路が無い。ただ線路の行き止まりを示す冷たいモニュメントが折れ曲がって立ち尽くしているだけ。それは片手をかざしてこちらを制止しているようにも見えるし、意地の悪い老人が石の背広を着こんで悪夢を弄びながら皮肉な笑みを浮かべているようにも見える
 どこだ、どこにあるんだ!?
 バカな、こんなはずは……。焦燥で早鐘のように高鳴る鼓動をあざ笑うかのように老人の声が響く
「お前の精神はどこに繋がっているって?」
「わしと同じさ、お前もどこにも繋がっとりゃせん」
 枯れ果てた声が夜空に吸い込まれて消えてゆく
 星の瞬きも雪の結晶も何もかも冷たい精神の終着駅で、コインロッカーに閉じ込めた胎児を見つけ出せ!
 それは剥き出しの心。自分自身を殺すのも逃がすのも生かすのも置き去りにするのも、すべてはこの夢にかかっている。さあ、丸裸にされた心を掴んでオーロラに向かって掲げよう!!
 そうすればきっと何かがわかる。きっと何かが変わる。見つけるんだ、この夢は必ずあのコインロッカーに繋がっている
 電光掲示板、遠くにそびえるタワー、見知らぬオーサカ、水族館、晴れた海、透き通り過ぎて落ちてきそうなどす黒い青空、観覧車と高架、胃袋で溶ける血液が赤いあぶくになって消える
 赤いあぶくは中空を漂って、悲しげに点滅を始める
 やがて警告音が鳴り響く
 思い出すんだ、つかみ取るんだ
 夢の尻尾を掴まえろ!
 空だ!!
 勢いよく見上げたそこは、すでに踏切の中だった
 カンカンカンカンカンカンカンカン
 とカン高く耳障りな警告音が鳴り響き赤いランプが点滅する。遠くに見えていたヘッドライトがあっという間に近づいてくる。急いで飛び出した瞬間にそれは目の前を通過していった。ヘッドサインには見たことも聞いたこともない特急の名前がついていた
 しらたか
 と読めた。ホッとして空を仰ぐと、そこには緑と青と白と黄色と赤紫が絡み合う極光。見つけた。これだ、この光だ
 ゆらめく光の束が少しずつゆがみ、丸く膨らみ、形を変えてゆく。ある光の筋は輪郭に、ある筋は目玉に、あるいは口、鼻、涙に。うにょりとひときわ大きくゆがんだ光の幕が完全に泣きわめく赤ん坊の顔になった。踏切は鳴りやみ、かわりにギャア、オギャアと赤ん坊の泣き声が辺り一面に響き渡っていた。急がなくては、この夢が終わる前に、あの赤ん坊が腐る前に、どこかにあるコインロッカーを見つけるんだ、
 そしてコインロッカーを開けるんだ!!
 駅構内に飛び込んで左手の通路の奥。古いタイル貼りの床は泥や埃で薄汚れて湿っていた。角を曲がってすぐにコインロッカーがある、
 あるはずだ!
 あってくれ!!
 あった!!!
 床から天井まで聳え立つようにコインロッカーが奥に向かってズラっと並んでいる
 100や200じゃきかないぐらいある。無数の扉、扉、扉。そのどれかから泣き声がする。鍵など一つも持っていない。だけど扉を開けなくちゃならない。この扉を開けなくちゃならないんだ!
 何も考えず、目についた扉に手をかけて引っ張る
 がぱん
 と固く乾いた音がして呆気なく開いた扉の向こうは空っぽだった
 無限の空っぽが鏡張りのようになったロッカーの中でどこまでもどこまでも続いていた
 次だ、とまた適当に開けてみる。今度は小さな石ころがひとつだけ、ちょこんと置かれていた。次は扉を開けたとたんにあふれ出てくる手紙、手紙、手紙。そのすべてが白紙だが、何もかも自分の悪口でしかないことはたとえ文字などなくても明白、白紙、白痴!
 次だ!
 開けた途端に無数のシャボン玉が飛んで行く。どす黒い泥に油膜の浮いたあぶくの一つ一つが自分の苦々しい思い出を包んでいて、そこかしこで弾けてこぼれ出ているのは自分で自分の首を絞めて殺してやりたいぐらいどうしようもない記憶ばかり
 もういい、片っ端から開けてやる! バタバタバタバタ、と次々に開かれるドアの中身は今度こそからっぽで、虚しさだけが姿を現してまた閉ざされてゆく
 駅の鉄筋コンクリートにびりびり共鳴する赤ん坊の泣き声に老人のしわがれた声がオーバーラップする。
「お前の心はどこへ繋がっていると思うね?」
「この夢は何処に繋がっていると思うね?」
「お前の心はついさっき力尽きたよ。どこにも繋がってなんかいなかった」
「お前の夢は何処にも繋がらない」
「お前の夢に行き着く先などない」
「お前の心に行き着く先などない」
「お前のお前の心に心心心行き着くお前の心ココロこころ」
 頭の中を赤ん坊の泣き声と老人の声がグルグル回って混ざり合ってゆく。ロッカーを開ける手が止まらない
 開けては空っぽ、開けては空っぽ、開けても開けても空っぽ!
 爪の先から血がにじんでいるが痛みなど感じない。次々に開かれたドアが風もないのにキイキイ揺れる。そのきしむ音ひとつひとつが自分を罵っている声に聞こえてくる。赤ん坊は泣き止まない、老人は黙らない、そしてロッカーのドアが口々に言う
「お前の心はどこへ繋がっていると思うね?」
 バタン!
「この夢は何処に繋がっていると思うね?」
 ガチャ!
「お前の心はついさっき力尽きたよ。どこにも繋がってなんかいなかった」
 バタン!
「お前の夢は何処にも繋がらない」
 ガチャ! バタン!
「お前の夢に行き着く先などない」
 ガチャバタン!!
「お前の夢など誰も知らない」
「お前のことなど誰もいらない」
「お前なんていらない」
「お前なんていない」
 オギャア!
 ここだ!
 中から赤ん坊の泣き声がする。だけど、このロッカーだけが鍵をかけられていてドアが開かない。鍵は何処だ、鍵は無いのか!?
 夢の鍵の在り処を見つけ出せ! 
「お前の答えなど誰もが持ってる、どこにでも転がっている平凡なゴミ」
「お前の歩いてきた道など無数の足跡がついている」
 足跡……足跡……?
 足元だ!
 最下段のロッカーの、つま先の前にあったロッカーを開けるとそこに銀色の鍵。どこにでもある平凡な鍵。ごくありふれた形の、当たり前の鍵
 じゃらり、と手に取る
 増えている。さっきまで一つしかなかった鍵が、長いのから太いの、細いのから色違いまで無数にある。だがロッカーに合いそうな鍵なんて知れている。一番小さくて銀色の鍵を閉じたドアに差し込んだ
 ぶじゅっ
 えっ?
 明らかに嫌な手ごたえを感じた。何かがおかしい。だけど、もうこの手は止まらずにそのまま左にねじってしまった
 ぐちぐちっ、ぶち!
 アギャアアアアアアア!!
 何かが引きちぎれるような音と、赤ん坊の断末魔のような叫び声と、鍵穴からドクドク流れてくる鮮血。思わず手を離して指先を見つめた
「お前の夢にとどめを刺すんだ」
「お前の夢の最期を見届けるんだ」
「お前の夢の終着点は、ここさ」
 キィ・・・・・・ィィィィ
 ロッカーのドアがひとりでに開いた
 恐る恐る中を見る

 空っぽだった 

 静かに、深く驚きながら中を覗き込むと、鏡張りになったロッカーの内側に幾つもの自分の顔が浮かんでいた。そのすべてが、赤ん坊のように無様な泣き顔を晒していた

 ずっと泣いていたのは、自分だったんだ
 悪夢のオーロラで身を包んだ捨て子が束の間を生きた世界の片隅にある小箱の蓋をバタンと閉じて、古びた券売機で最終列車の切符を買った
 
 そこで目を覚ました。新幹線の座席で再び眠っていたようだった
 窓の外は一面の雪景色だった
 間もなくオーサカに着くとアナウンスが告げた
 座席から立ち上がって右側の出口に立つ。列車は徐々にスピードを落とし、車窓の向こうで真っ白な景色がゆっくりと流れてゆく。やがて他の線路が見えてきて、それが束ねられるようにしていくつかの線路にまとまりコンクリートのプラットホームに添えられて駅に着く
 ガタタン、ガッタン……と最後の揺れが止まった。開いたドアから歩き出すと、雪にうずもれたホームに老人が一人立っていてこう言った
「お前の夢の続きはどこに繋がっている?」
 振り向きざまに繰り出した答えが白い息と一緒に溶けてゆく
「夢なら全部、あのロッカーの中に置いてきた」

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