ヤニ茶けた窓の向こうには埠頭の片隅で錆色に光るスクラップの山
降りしきる雨でずぶ濡れになった、その一つ一つが誰かの破れた夢のあとなのかもしれない。そんなことを、ただぼんやりと思い浮かべては点けっぱなしのテレビにかき消されているだけの午後
流行り病で減った仕事が、その日も怠惰に終わりを告げた。退勤のタイムカードを押して詰所を後にする。駐車場でポツンと待っている長く乗った白いクーペ。明け方からの雨は少し勢いを失くして、やがてさらさらとした霧雨になって暫くしてやんだ
西の空が黄色く、明るくなってきている。雨あがりの舗装路を吹き抜けてくる風のにおいが普段よりも心地よいのは、行き交うトラックもトレーラーもすっかり途絶えたからだと気が付いた。いつもならこの時間でもクジラのようなトレーラーがH鋼やコイルを背負って轟音と共に悠然と走っているというのに
走るクジラ、泳ぐクルマ。埠頭は陸の水族館
真新しいベイブリッジには対向車の大渋滞。この先の埋め立て地は二つ前の元号から続く工業地帯だ。あの埋め立て地全体がひとつの巨大工場であるとも言える。世界的な大企業から末端の部品工場、そのまた下請けの工場、金属や樹脂の加工場。原料を受け入れて製品を出荷するための岸壁。運送会社に倉庫、人材派遣会社の事務所、コンビニ、病院、私鉄駅、バスターミナル。鈍色に光る海に浮かんだ人工の街そのものも、巨大な工業製品なのかもしれない
家路を急ぐ大渋滞を尻目に片側3車線の産業道路を快適に走り抜け、西へ。夕焼けが始まる空を目指して、その遥か足元に溶けてゆくようにまっすぐ伸びた道路を走って
スピーカーから流れるAviciiが踊るように鳴り響く。短すぎる旅路は悲しいものだが、長いだけでも虚しいだろう。愛をずっと待っているのは誰の為か、自分か、いつか出会う人か。連絡の途絶えていた彼女から、また会いたいとポツリ。それに応じるのか、それとも振り向かずに済ませるのか。答えが出ないまま行き先だけが決まって、僕は白いクーペを走らせた。すっかり雨は上がって、遠くの空が千切れた雲を金色にしてバクハツさせている
景色がみるみる変わってゆく。工業地帯の産業道路は次第にその幅を狭めていって、追い越し禁止の片側一車線になったところで周囲は緑の多い湾岸国道へ。向かって左側に広がる湾内を一望できるワインディングロード。道路沿いには古びた観光看板。ホテル、旅館、レストランに土産物屋。全部二つ前の元号の時代に最盛期を迎えたもので、今では見る影もない。あんなに人があふれて毎日飽きもせず凝りもせず大渋滞を引き起こすほど工場の中には人が詰まっているというのに、外に出て遊ぶ人は殆ど居なくなったらしい
僕の生まれ育った街は、そんな街。工場はあくまで工場でしかなく、帰る場所も眠る位置ももしかしたら予め決められていたものを、その通りになぞっているだけなのかもしれない
潮風を浴び続け、錆びて折れた道路標識の制限速度は50キロ。だがそれを守って走る人も、この道を通る車も殆ど居ない。緩やかなカーブの連続を滑るように飛ばす白いクーペ
やがて湾岸国道は海から離れて、少しずつ建物が増えてきた。住宅街を抜ける真新しい舗装路が見知らぬ屋根と庭のあいだを縫う様に伸びている。3階建てのアパート、新築の高層マンション、分譲中の建売住宅、小さな公園で風に揺れる青いブランコ
交差点の向こうからはカーディーラーとパチンコ店。寿司屋、本屋、写真館、とんかつ屋、ラーメン屋、洋服店が立ち並ぶ一般県道。すべて全国チェーンの、何処にでもある店たち。ファミレスチェーンのステーキ屋もあれば、統合されて同じブランドのコンビニが3つもある。ドラッグストアは3社、スーパーマーケットは全国チェーンとご当地チェーン。どこにでもある県道がどこにでもある場所に向かって伸びている。空が真っ赤に近いオレンジに紫色と少し垂らした、この世の終わりのような色になる頃、僕は見知らぬ街に着く
吸い込まれるように走る。片側4車線の大きな道路、立ち並ぶビル、夕陽を浴びながら横断歩道を渡る無数の黒い影
信号が丸と四角の中間サイズのオルタ色になったのでアクセルを踏み込んだ。オルタ色は進め、モコペ色は止まれ、一旦停止はミミントム
ビルの谷間を縫う様に交差点を二度左折。立体駐車場のエレベーターに車を停める。三本眼鏡の誘導員がオーライオーライと歌ったがコオロギほどの大きさなので知らずに踏んでお陀仏に
みぢろ色のボタンを押すとシャッターが閉まってクーペは二度と出てこなかった
僕は迷わず歩き出してビジネスホテルのフロントに立っていた。40インチある液晶画面には顔の彫りが深くて臍毛の濃い女性が日焼けした素肌も露わにしながら
「育ちがええんやな、育ちええんやろ」
と囁いた。僕はテレビのリモコンを握りしめて、彼女の放射状に生えそろった臍毛に目を奪われた
窓の外は雨。退屈と怠惰のスクラップが濡れては乾いて錆びてゆく
誰かの夢も見知らぬ街も、いつの間にか崩れて運ばれて消えてゆく
だけど、だけど一度でも形になったのなら、きっとそれでよかったんだ
きっとそれでよかったんだ


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