晴れ渡る空。果てしない空。そこに響く歌、その時の風。雲が流れる、膝から肩へ、爪先から指先へ、仰向けに眠る僕の死後も、世界がこんな素敵なものばかりで
満たされますように──
せーの、で飛び出した。紺碧の海に満ち満ちたジェリーフィッシュの憂鬱はタコノマクラで見た悪夢。エラ呼吸で吸い込んだあぶくに詰まった溜息で次々窒息する回遊魚、光を求めて水面へ。そして陸に上がった肺魚
世界が素敵なものがたりで、満たされますように
祈りを捧ぐ痩せて眼鏡のイケ好かない歌手。ポップでメジャーな人気者の嫌な部分だけを煮〆て詰め込んだような模造品丸出しの作り笑いが張り付いたインチキ歌手が音源どおりの腹話術。それに感動して泣けたら世界はさぞかし素敵だろう
そんなものはアコヤ貝の中で綺麗な綺麗なパールに仕立てて、一生閉ざしたまま貝殻として全うすればいい。暗い海の底で見上げた水面はさぞかし輝いていることだろう。手足を食いちぎられた蟹の死骸や、腐れウツボの目玉だったものが流れ着いて、いつまでもすぐそこで朽ち果てるのを待ってる必要もない。陸の上を自由に歩き回って、空を見上げて深呼吸。夢のような大地が広がって、星の見える夜は月が照らす。海底生活のユウウツは波にさらってもらえばいい。潮騒に紛れて泣けばいい
海岸沿いに果てしなく伸びるバイパス。曲がりくねったその先は丘の上の小さな町。苔むした石垣を積み上げた古い鉄道橋の下をくぐって、町一番の大通りで信号待ち。ロータリーには噴水、陽射しにきらめく水しぶき、その一粒ひと粒に喜怒哀楽
目に見えてないけどそこにある、水蒸気みたいな喜怒哀楽
原付のキックでエンジンに火を点けて。キーを挿してスイッチを入れて電気を流して火を点ける。たったこれだけのことが、猛烈な部品と部品の摩擦で出来上がってる。火の点いた揮発油が歯車を回してチェーンを動かすと僕が時速30キロで前進する仕組みを、これより簡単に作るなら空を飛んだ方が早そうだ
お気に入りの黄色い原付で海沿いの道を行く。ステッカーでいっぱいのヘルメット、胸ポケットにチョコレートみたいなピアニシモ、かごの中に猫のぬいぐるみ、連れて行こう好きにやればいい。世間がどんなに騒いでも、世界がどんなに怖くても、流行りの病気も有名人の浮気もカンケーない、ただぼんやりと晴れた一日の半分が過ぎようとしているだけの光の中で真っすぐ伸びた寂しい道を行く
波打ち際にべしゃりと横たわったクラゲみたいに、最後に見上げた空の色になって死ねたらいいじゃん。腕を伸ばしても届かない、足を伸ばしても泳げない、砂の上で干からびたクラゲみたいに腐ることもなく消えていけたらいいじゃん。虹色クラゲの子守歌、最後のフレーズが染みました、軽薄な造花みたいな安物ソングのこの街に信じる人など居ないと泣く。四千匹のクラゲが打ち上げられても、それぞれ立派な水死体。骨もなく顔もなく声もなく、失くすものが無い、と泣く
冷たい波間を揺蕩って、時々ざぶりと浮き沈み。そんな日々の繰り返しが今では立派な遺産です、あの頃若くてわからずに居たんです。今なら上手くやれそうな気がする、だけど気がするだけな気がする。冷たい波間の気楽さに気付いたときには砂のうえ
虹の彼方に飛んでゆくクラゲ。何処へともなく旅立つクラゲ。風と波と空と海が溶けて交じり合う場所を探して、せーの! で飛び出したクラゲ
焼けた砂漠に刻んだ孤影を後生大事に守ってる。砂嵐が来て、スコールが来て、流砂に沈んで黄砂に抱かれて、もはや影も形もなくなっているのに。目を閉じ耳を塞いで立ち尽くす。鍵を開ける箱もなく、鍵もなく、ただそこにあった大事な大事な宝箱の幻だけを守り続けて美談になって、クラゲのように干からびた
せーの! で飛び出そう
日干しになった他人の死体を縫い合わせて着飾って、写真を撮ったら用済みになるような赤貧思想の押し付けしか能がない情緒不安定の大クソ馬鹿野郎から一刻も早く離れよう


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