銀色の夏の夕暮れ。潮騒だけが繰り返す砂浜。崩れかけた崖と崖を縫うように伸びる舗装もされない坂道。長く伸びた蔦の先で小さく咲いた赤い花を、血の混じった汗のような色をした西陽が射す。そこに吹く潮風、その時のにおい、濃くて湿った空気をかき混ぜて吸い込んだ。血潮が膝から肩へ上がってく。体の奥から満ちてゆく。玉のような汗が噴き出す、呼吸が浅く苦しくなる。それを凌ぎ切ったら目の前が明るく鮮やかになる
海鳥すらも姿を消した一万四千数百年後の砂浜に、たった独りぼっちで置き去りにされたような気分だ。クルマはポンコツ、もうエンジンもかからなければタイヤだって膨らまない。サビついてひしゃげたガードレールを突き破ろうとして失敗して、そのまま頭だけ飛び出して鼻先にぶら下がった真珠葉の毛氈球粒花(もうせんきゅうりゅうか)が咲き乱れて二百年と十月十日。それをぼんやり見つめたまま呼吸だけを繰り返す
目の前で寄せては返す波よりも果てしなく、何の意味もない呼吸だけの繰り返しが一万四千数百年続いた。次の一万四千数百年が過ぎ去るまで
朽ちたクルマも崖の坂道も、いつか消えてなくなるまで
古い歩行者用信号機の錆びたボックスの中で緑の溶液に沈んだり、赤い溶液に浮かんだりしていた彼らは何処に消えたのだろう。真新しく薄くて明るいLEDの信号機が田舎道の交差点まで設置され、旧型で交通信号機専用のシグナリオン溶液とQ1号型皮膜式信号反応構造を持つ掌族(てのひらぞく)の持つ特殊な人造ホルモンとの生体反応を利用してぼんやり光る溶液型信号機ボックスは姿を消しつつある
作り出すときは生き甲斐や生まれて来た理由、運命、世のため人のためのなんの、と散々に宣伝されてきた。そして美辞麗句で縛り上げて思いやりと染め抜いた猿轡を噛ませたまま掌族は数百年ものあいだ培養液の中で工業的に生産・管理され、育成のち信号機の溶液にドボンを漬けられ死ぬまでぼんやりと光り続けた。そんな運命、そんな社会貢献。街角で、摩天楼に抱かれる大都会で、のんびりした田舎道で、夕方の鐘が鳴る新興住宅地で、轟音を上げてトレーラーの行き交う工業団地で。彼らは彼らの人生を全うした
そして時代は変わり技術が進み、信号機を光らせるものは生体反応からLEDに取って代わった。交換された溶液ボックス式の歩行者信号機が何処へ運ばれたのか。そしてどのように処分されたのか。それを知る者や、知ろうとする者は居なかった
銀色の夏が終わる。夏の夕暮れ、西陽を浴びて溶けてゆく短く儚く美しい時間が流れている。美しい、短く儚いさだめを美しいとたとえるのは傲慢であり欺瞞だろう
その短さ、儚さは呆気なさ。言い換えられた美辞麗句、よくわからない横文字言葉で飾られてしまえば最後、あとはそれを死ぬまで全うし、また生まれて全うし、何度でも全うし続けることだけが求められ無責任に讃えられる
地下ケーブルから各歩行者用信号機の溶液ボックスに送り込まれていた新鮮な一酸化二重炭素の三倍濃縮電極ガスが途絶え、猛毒で劇薬の溶液の漏洩を防ぐためにバルブを密閉されたままのボックスは各集積所で一旦回収され、そこからいずこともなく運ばれていった。人口密林の奥地に広がるサイボーグカメレオンの巣を越えた総崩川ダム跡地に続々と、轟音をあげてトレーラーが乗りつけられて何かをバラバラと無造作に放り出して去ってゆく
それはひと夏の間ずっと続いていたが、やがて日の入りが早くなるころには元のダム跡地に戻っていた。枯れたダムはコンクリートで満たされ、あとにはのっぺりとした灰色の大地だけが残されている。その地面の下でやがて砕けたボックスと溶けだした肉片や細胞が融合・癒着を繰り返し、コンクリートに含まれるカルシウムや石化メドゥームも吸収した掌族だった何かが蠢き胎動を始めるのは
あと一万四千数百年後のはなし……
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