#不思議系小説 第81回「I don’t know」後

 彼女の眼差し、面影にも慣れてきつつあったある晴れた眩しい朝。少し肌寒さを感じて布団を寄せようとぐっと引き上げるときに妙な手ごたえを感じた。ずっしりとしたそれは重さでいえば5キロ少々。健康な赤ん坊くらいの重さのずっしり感を寝ぼけたせいだと思って、僕は布団をかぶって昼まで寝ていた。次に目が覚めた時、布団の上で僕の腹の辺りに乗っかっていたのは、まさしく赤ん坊だった。半透明の
 んっく。と大きな玉砂利のような空気の塊を飲み込んで、その赤ん坊をじっと見つめてみる。半透明の赤ん坊は丸々と肥えて、実に健康的な姿をしていた。そもそも半透明である以外は。うっすら生えそろった産毛にまあるい顔を柔らかく形作る、ぷっくぷくのほっぺ。むっちむちの短く愛らしい手足。それが這いずったり座ってたり寝転がっていたりと様々なポーズで視界の片隅に居座るようになった

 赤ん坊は何気ない顔をしているが、目が合うとニコーっと笑う。歯のない口を三日月のようにして、彼女にそっくりな鋭い目つきと大きな黒い瞳をくしゃくしゃにして笑う。そして真顔になると怖いほどよく似ていた。身籠ったまま姿をくらました彼女──ななきるに。そういえば赤ん坊と入れ替わりに、彼女の幻影はぷつりと消えた
 僕なのか、いやそんな筈はない。僕だけじゃない、きっと僕のじゃない
 四六時中、赤ん坊の幻影を視界の片隅に置いたまま暮らす……僕は発狂寸前になっていた。冷や汗と涙で体中の水分という水分が何処かへ蒸発して出来上がった雲の中にさえ、赤ん坊の笑い顔が浮かんでくるような気がして来る

 今日も赤ん坊は僕の部屋の片隅に、天井に、モノも言わずただじっと座ってむちむちぷにぷにしている。何度、夢であってくれと思っただろう。見間違いで、幻で、目が覚めたら綺麗さっぱり消えていてくれたら、どんなにいいだろう……
 震える唇と噛み合わない歯をぎくしゃくと動かすように、僕は僕の罪の落とし子を目の前から消し去ろうと呪った
「お、おおお前は、お前お前は、ぼぼぼ僕の、僕が、僕だけが」
 僕を見つめる赤ん坊が笑わない
「ぼぼ、僕だけじゃないぞ!」
 僕を見つめる赤ん坊が笑わない
「あ、あの子は、あの子はどうしたんだ!」
 僕を見つめる赤ん坊が笑わない
「僕のせいじゃない!!」
 僕を見つめる赤ん坊が笑わない

 あの子にそっくりな鋭い目つき、何処も見てない瞳。濃い眉、彫りの深い童顔、少し黄ばんだ素肌、真っすぐな鼻筋、薄く口角の下がった唇。真顔で居られると、本当に瓜二つだった。彼女の幻影は消えても、彼女の遺した意志や記憶は消えないということか……? だけど、だけど……!
 赤ん坊が天井を這いながら、コチラに向かってじりじりと迫ってくる。僕は布団の上に仰臥したまま身動きも取れずに、かろうじて叫ぼうと口や喉だけを力づくで動かしていた
「ぼ、ぼ、お、僕わ」
 赤ん坊が迫る。音もなく天場を這い進む。無言で、無表情のままで
「僕は、僕はお前を」
 悪い夢を見ているように、喉が震えて言葉が出ない。頭の中で渦巻く言葉が喉に詰まって砕けて胃袋の中へポロポロと零れてゆくようだ
「僕は、ぼく、ぼおっぼぼぼぼ」
 赤ん坊が僕の頭上まで来て、首をカマキリのように180度回して逆様の顔のままじっと見てくる
「僕は、僕は、ななきるとの約束を」
 そして赤ん坊が、逆様の顔で、ニターーっと笑った
「僕は約束を果たしただけだ!!」
 その瞬間、僕はずっと封じ込めていた記憶が土砂崩れのように脳裏からあふれ出し、両目や鼻から、喉の奥から、涙と鼻水と嘔吐に変わって吐き出されてゆくのを感じていた
 悪臭に包まれ滲んだ視界には、口や両目から血を流し、大きく裂けたうえに子宮内からも大量の出血をきたしたために血塗れで開かれた股の奥と臍の緒が繋がったまま絶命した、ななきるの姿がハッキリと浮かび上がった
 憔悴しきった彼女は出血多量と出産のショックで死んだ。妊娠が発覚してからも、僕は彼女を抱いた。ほとんどの男どもが恐れをなし責任から逃れようと消えていく中で、僕だけは最後まで彼女の傍にいるつもりだった。微妙な硬さを持つ膨れ上がった腹回りや、明らかに一回りも二回りも張り詰めた乳房にはどす黒い妊娠線が浮き上がり、乳輪と乳首は真っ黒く肥大化したななきるの体はグロテスクに感じるものの、その童顔やNGのないセックスとのギャップがまた良かった
 朝でも夜でも真昼でも、外でも部屋でもクルマでも、口でもあそこでもお尻でも、僕は貪った

 日に日に硬く膨らんでゆく彼女の腹から、ついに赤ん坊が誕生したのは満月の夜だった。不吉な、真っ赤な月が安倍川の向こうに浮かんでいた
 彼女は好きなバンドの音源を大音量で流しっぱなしにして、苦しみ、もがき、叫びながら出産した。圧迫された内臓から押し上げられるように
 ぐぷっ
 と言って彼女がどす黒い血の塊を吐き出した。そいつが喉に詰まって、ゲッ、ゲッ、と二度だけ鳴いて彼女はこと切れた。タフで丈夫な彼女だったが最期は呆気なかった。身も心も限界だったのだろう。陣痛が来る直前まで行っていたアナルセックスのせいで、僕の精液が死んだ彼女の肛門から遅ればせながら漏れ出て嫌な音と臭いを立てた

 僕は彼女の死体から臍の緒を切り離し、改めて赤ん坊の方を見つめた。しっとりと湿った質感とあまりに柔らかく小さなその命の塊は、すでに呼吸をやめていた。母の後を追うように、この子もまた旅立って行ったのだ
 用意してあった食材と共に彼女と、その娘の肉を切り刻んで鍋に放り込んでグツグツと煮込んだ。市販のカレールゥを入れて、さらに煮込んだ。そして火を止めて、僕は愛用のドンブリに出来立てのカレールゥをオタマで二度、三度と注いだ
 暗い部屋のなかで湯気を立てるカレーに銀のスプーンを差し込んで、すくう。どちらの肉だろうか。ごろっとした柔らかなタンパク質の塊を、命を、すくう
 味は、よくわからない。いつも食べている、市販のカレーと同じ味だ。歯ごたえだけが妙に強くて、少し硬く筋っぽい。きっと、ななきるの肉だ
 次にもっと柔らかくて、クラゲのようにプルプルした塊をすくい上げた。きっとこっちが赤ん坊の肉だろう。スプーンの上で茶色いカレーにまみれてプルプルしている肉片を、僕は大きく口を開けて食べてみた

 ぶりゅっ。と音がして、口の中で柔らかな肉片が這い回っているようだった

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ダイナマイト・キッドです 写真は友人のクマさんと相撲を取る私 プロレス、格闘技、漫画、映画、ラジオ、特撮が好き 深夜の馬鹿力にも投稿中。たまーに読んでもらえてます   本名の佐野和哉名義でのデビュー作 「タクシー運転手のヨシダさん」 を含む宝島社文庫『廃墟の怖い話』 発売中です 普段はアルファポリス          https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/376432056 小説家になろう                   https://mypage.syosetu.com/912998/ などに投稿中 プロレス団体「大衆プロレス松山座」座長、松山勘十郎さんの 松山一族物語 も連載中です そのほかエッセイや小説、作詞のお仕事もお待ちしております kazuya18@hotmail.co.jp までお気軽にお問い合わせ下さいませ

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