君は君を閉じ込める奴の気が知れないまま、遥かな世界へ消えてった。それでいい、これでよかったんだ、僕は街の灯を見つめて何度も何度も心に刻み込んだ。これでよかったんだ、と刻まれた瘡蓋が乾いて落ちるころには、すっかり忘れてしまえると無邪気に傷ついて、そんな自分が割と好きで。
君の事が好きだった、自分の事のが好きだった。
真夜中を走り続けた寝台特急サンセット倫理が、辿り着くのは遥か彼方の夕暮れ。速度を落とし、車輪が軋み、レールを踏みしめるブレーキがギイギイと鳴く。窓の外にはコンクリートで出来た粗末なプラットホームと白い蛍光灯が幾つか。駅名標は錆び付いて、既に全く判読出来ない有様だった。ガシューーっと大きなため息をついて、寝台特急サンセット倫理が暫しの停車に入る。駅舎の向こうに奇怪な巨大建造物の影が見える。影絵で作ったトンビか、特撮番組に出てきた悪質な宇宙鳥人のように見える。
それはスポメニックと呼ばれる抽象的表現を用いた記念碑で、今では誰からも忘れられた記憶と歴史の墓碑銘。熱の出た日に見る夢から、そのまま飛び出してきたような形をしたスポメニックが、この大地の何処かに未だ幾つか残されているとは聞いていたが、まさかここまでの大きさだとは。そして思っていたより数十倍も、このカタチを脳と視神経とボキャブラリーだけを用いて受容し表現することは非常に困難だった。そんなスポメニックに睥睨され威圧されるように、小さな駅が夜を待つ。
乗り込む人も、降りてゆく人も居ない。いま、この列車に乗っているのは、果たして何人ぐらいなんだろうか。僕と、あぶくちゃんと、あと他に誰か乗っているんだろうか。
そういえば、隣の部屋も静かだな。ずっと映画を流しつつ仕事をしていたみたいだし、またいつものように終わったあとは死んだように眠っているのかも知れない。
(寝顔、可愛いんだよな……)
あぶくちゃん、ただでさえ美人なのにさ。黒いつやつやのショートヘアー、透き通るような白い素肌、小さくてぱっちりした目と、ちんまりした鼻。意志の強そうなおちょぼ口、ツンとした頤。美人の顔立ちだけどバランスが良くて可愛く見える。そんなあぶくちゃん。
寝顔はまさに天使であり、日ごろのストレスフルで疲れ切った死人のような目つきや、アニメっぽい澄んだ声が酒焼けして掠れたハスキーボイスになってるところも人間味を感じて好きなんだけど、寝ている彼女は別格の可愛さだ。ずっと一緒に旅をしていて、ふと見た隣の座席や、雑魚寝の船旅や、体を縮めて眠ったシングルベッドの上で、彼女の寝顔を目にする僥倖を味わってきた。
ドアの方を向き直った僕の背後で、不気味なスポメニックの影が心の中まで染み出して来る。影の差す、心の行く先は、彼女の寝顔。少しだけ、高鳴る鼓動を抑えるように躊躇もした。起きて居たらどうしよう、起こしてしまったら何て言おう、起きてる間に言いたいことは沢山あるのに、あぶくちゃんを起こしてまで出来ることは何もない。
影絵の宇宙鳥人が翼を広げて、僕の背後に迫ってくる。
ずずずず、と夕暮れ時の濃いオレンジ色をした陽射しがどんどん赤く膨らんで、地平線にめり込んだ太陽が燃え尽きる前に立ちあがれたら……僕は今日こそ……僕は、今日こそ……?
どうなってしまうんだろう。
宇宙鳥人スポメニック・マニアックス。僕の背中を押してくれ、僕の背中に翼を植え付けてくれ。住之江区から都島区ぐらいまでで構わない、すぐさますっ飛んでいけるような翼を植え付けてくれ、スポメニック。
世界中の快楽と狂気を集めた砂時計を、僕に破壊させてくれ。千代に八千代に三千世界に、死神礼讃のレッテルと注射針のスポメニック・マニアックス。
つづく。
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