#不思議系小説 第135回「Red Blood Brains」

 トテトテトテ、と一生懸命に走って来た幼い男の子。1歳半か2歳くらいだろうか、青空の下、緑の芝生で笑ってる。
 キャキャキャキャ、フギーッ! キャーッ!
 限りなく音に近い声をあげて、ゴキゲンな様子を歌うように伝えて来る。小さな世界に広がる大きな大きな空に向かって。

 お人形に履かせるようなサイズの、踵の光る靴。おもちゃのようにジタバタ動かす小さな体と、短く柔らかな手足を振り回して走る。まだ色が薄くて茶色がかった頭髪がもじゃもじゃと生え揃って、白くふっくらと丸いほっぺがぷにぷにしている。柔らかさそのものをたたえた顔をくしゃくしゃにして、走って笑って走って笑って。子供用の洋服に描かれた黄色い超特急のお医者さんが、一緒に走ろうとフキダシを出している。

 頭上を白い鳥たちがバサバサと飛んで行く。花壇にずらりと並ぶ色とりどりの花が風に揺れて笑っている。植え込みの向こうに誰かが忘れて行った赤いボールが転がって、少し寂しそうにこっちを見ている。

 平日、昼前の、他に人もまばらな郊外の緑地公園。季節は秋。
 日に日に青空が高くなって澄み渡り、そこに白く薄い雲が流れていって、おだやかな一日を包み込むように広がっている。大人になってしまってからはすっかり手狭に見える芝生だが、小さな子供にしてみれば無限の大草原に違いない。そこを短い手足でトテトテ走ってゆくのを、ゆっくり歩きながら見守って、吸い込んだ息から枯れかけた秋の匂いが肺に溶けて流れ込む。

 やがてトテトテトテ、と走っていた手足がもつれ、バランスを失った小さな体が

 ぽてっ

 と、転がるように倒れた。柔らかな芝生の上で少し跳ねて、うつ伏せになったまま、まだそれが楽しくて笑っている。

 子供なりに、どっこいしょ、と立ち上がってまた走って、二、三歩進んでまたスッ転ぶ。トテトテトテ、ポテッ。トテトテトテトテ、ポテッ。

 何度も繰り返し走って転んで笑って、走って転んで笑って。

 ああ、今あの子は、きっとこの公園や地面そのものと、遊んでもらっているのかも知れない。シロツメクサやショウリョウバッタが一緒になって遊んでいる。今度は少し長く、トテトテトテトテ……と走って、満を持して、ポテッ。

 うつぶせに倒れて笑う、その小さな背中を、全身全霊の力を込めて、全体重を乗せた左足で思いっきり踏み抜いた。
「ごぼぐぎゃ!」
 泣くよりも叫ぶよりも先に漏れたのは、限りなく音に近い声。
足の裏には折れた骨と潰れた内臓や筋肉の感触。肉片混じりの血反吐を吐いて痙攣する小さな体。原始的な恐怖と戸惑いが浮かんだ、何が起こったのかもわからないというような顔を、横から思いっきり蹴り飛ばす。

 ゴキッ、と乾いた音がして、一瞬だけクシャっと小さな音もした。
 俯せたままの体から力が抜けて、おむつの許容量を超えた糞尿がズボンの内側から染み出してきて臭気を放つ。

 辛うじて続く呼吸は不幸中の幸いか、それともこのまま死ぬ方が幸いか。
 土手っ腹に、柔らかな関節に、目玉に鼻に生え揃いかけた歯に、毎回かなりの力を込めた爪先を叩き込む。砕けた軟骨や裂けた皮膚、折れた歯が散乱して芝生が赤い肉色になってゆく。
 白目を剝いたまま真っ赤に充血した目玉が片方、神経と血管に繋がったままデロリと垂れた。細く小さく見えた目だったが目ん玉はちゃんと丸い。
 垂れ下がった眼球の黒目が明後日の方を向いて揺れている。涙の代わりに流れ落ちる粘っこい血液。白く柔らかだった頬の肉がちぎれた穴から折れずに残った奥歯と歯茎がチラリと覗く。

 何も知らずに、何も気付かずに、何も言えずに小さな命が今、ひとつ終わった。
 無力な命。風前の灯火とはよく言ったもので、まるで冷たい11月の雨のなかで揺れているキャンドルの炎のような、儚い律動。
 このまま生きても幸せには、なれないだろう。自分の境遇を幸せだと、強がりでも本心でも洗脳でも何でも使って言い続けなければブッ潰れてしまうほど不安定で、同情や差別や意識の高い連中からの利用にも晒されて生きるくらいなら。
 今のうちに死んでおいて正解かも知れない。

 何も出来ずに生きているだけの命など、本当に無価値で無意味で、それに価値や意味を見出し未来を授けることなど傲慢だ。小さな命には無限の可能性があると言うが、そんなものすら自分で選んで決めて、その通りに努力して成果を掴めるかどうかなどわからない。
 選択肢に気付き、それを選ぶことが出来るかすらも怪しい。

 お前はダメだ、お前なんかどうせ、そう言い続けられ、逆らえば拳や、使えるものならテニスのラケットや折り畳みの座椅子、台所の包丁ですら持ち出して死にかけるまでダメージを負わされて生きることだってある。

 あの時、あのまま死ねていれば、たぶん今、生きてるよりははるかにマシな世界に居た筈だ。

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ダイナマイト・キッドです 写真は友人のクマさんと相撲を取る私 プロレス、格闘技、漫画、映画、ラジオ、特撮が好き 深夜の馬鹿力にも投稿中。たまーに読んでもらえてます   本名の佐野和哉名義でのデビュー作 「タクシー運転手のヨシダさん」 を含む宝島社文庫『廃墟の怖い話』 発売中です 普段はアルファポリス          https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/376432056 小説家になろう                   https://mypage.syosetu.com/912998/ などに投稿中 プロレス団体「大衆プロレス松山座」座長、松山勘十郎さんの 松山一族物語 も連載中です そのほかエッセイや小説、作詞のお仕事もお待ちしております kazuya18@hotmail.co.jp までお気軽にお問い合わせ下さいませ

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