1.
君が僕の遺書を覗き見たから、僕は君に全てを告げることが出来なくなった。死ぬまで黙って居たかったことを、生きてるうちに覗かれて尋ねられる屈辱もわからない奴を一度は愛し大事に思った。そんな自分を恥じるばかりだ。
心の中にはいつも、愛されたくて大事にされたい自分も居れば、大事にしたくて誰かを愛して、満たされ尽くして生きていたいという自分も居る。だけど、その反面もっと下卑で劣情に塗れた自分が心の奥底で震えていて、愛されなければともがいている。
道行く可愛い人々を、ひとりひとり裸に剥いてしまわなければ気が済まない。そんな自分が間違いなく、膝を抱えて俯いたまま黙って居る。暗く、古臭い、狭い納屋のようなところで。裸電球ひとつで照らされた、ぶよぶよに太って脚や腕や指先に無駄毛の伸びた、もっとも醜くて、自分で自分を蛇蝎の如く嫌う自分が今日も姿形だけを浮かばせて。
ああ、また赤いボトルの中で炭酸水のあぶくがぷかり。
あのあぶくがもうひとつ弾けたらこの家を出よう、と思っていたのに。あぶくがはじけてしまった。あぶくがはじけてしまったから、僕は家を出た。
自殺をしよう、と思った時に頭の中で一部始終を見た。イケ好かない実行委員会が古びた商店街の活性化という名目で集団自慰行為を前戯にしたイケ好かない連中のセックスに至る一連のフェスティバルで、お誂え向きの白い壁に映し出されたイケ好かないヌーヴェル・ヴァーグの名作映画みたいに。
僕はスマホで近所の銀行のATMに貼られているサラ金を検索して融資を申し込み、同時進行でパスポートの申請に向かった。審査はすぐに通過し、100万円のご利用可能金額が用意された。10万円までなら月に2000円、そこから1万円ごとに返済額が上がって行って、100万円借りると2万円になるらしい。
パスポートは以前、5年用のを作ったっきりだったので今回は10年にした。金額なんか大して変わらない。駅前の市役所の出張所がある貸しビルの5階に旅券センターがあって、ツンケンした口紅の濃いカマキリみたいな若い女が受付に居て、そのバブルの忘れ物みてえな奴に頭を下げてお金を払って写真を一枚、撮ってもらう。コイツにお金を払うなら、裸や股間を撮りたいものだと思っても、おくびにも出さずに生きている。
家族にも、遺書を覗き見た腐れ大馬鹿女にも、会社を仮病で休み続け、なおかつ高跳びの準備とサラ金に借金までしていることさえ、僕は黙り続けていた。
パスポートと財布に現金だけ持って早朝に家を出る。スマホや着替えも何もなく、身軽なものだ。スマホなんかあると消息を絶つのだって一苦労だが、あんなクソも拭えないカマボコ板さえなければ消息を断つことぐらい容易いことは無い。連絡が付かない、スマホを持って行ってない、というだけで暫く時間が稼げる。
地元駅から真っ赤な私鉄特急で2駅、そこから青い空港直通の特急に乗り換えてしまえば、逃げ切ったようなものだ。国際線のターミナルでチケットを見せて、安い席に座ってコーラでも飲んでいれば、蒸し暑くレモングラスと乾きかけの残飯と豚の屁の混じったような湿っぽい空気の知らない国に辿り着く。
きっと意味のある言葉なのだろうがさっぱりわからない文字列の並ぶバスには窓ガラスもなく、空港の近くで何となく両替した紙幣を運転手に手渡すと釣りも寄越さずニッコリ微笑んだ。
砂埃の舞い込む窓際の席で前の席に座った不細工な女学生の腋臭まじりの生ぬるい風を浴びながら、あっという間にビルも民家も標識も、地面の舗装すら見えなくなった悪路を行く。不意に振り返った女学生はクリっとした黒く深い瞳と艶々した長い髪の毛と、モノの見事に広がった小鼻と乱れに乱れた歯並びをせめて抑えつけようとする黄ばみだらけの矯正器具を拡げてニカっと笑った。


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