#不思議系小説 第147回「Testamento.(3)」

 枯れかけたようなブザーが鳴って、バタついた蛇腹のドアが開く。僕はちょっとリズムを取るようにしてステップを降りると、エンジンの轟音だけが低く響く真っ暗闇にヘッドライトとテールランプの光がぼわんと広がっていた。それだけだ。

 あの子が、いや、僕のなかの僕が座り込んでいる街灯まで、明かりは赤黒く光るテールランプだけ。その赤らんだ暗闇のなかを、湿っぽい足音を立てて近づいてゆく。川の流れる音がエンジンの音に紛れて少しだけ耳に届く。

 暗い水面を何かが跳ねた音、とよとよとよ……と水のせせらぐ音、そして子供のすすり泣く声。バスから離れると色んな音が少しずつ夜風に混じって漂ってくる。雨上がりのような匂いのする空気のなかで、僕は彼になんて言って声をかけようかと、ずっと迷いながら足だけは確実に近づいて行くのを止められないでいた。

「お前、僕なのか」
「……?」
 子供の僕が年食った僕を見上げて、涙も吹かずにしゃくりあげる。
「痛いのか、悲しいか、悔しいか……アイツのこと殺してやりたいか」
「……(コクッ)」
 小さな僕は観念したように黙って頷いて、肘のあたりの生々しい擦り傷をそっと撫でた。
「それ、ひぐらし台の夕陽ヶ丘住宅D棟の空き家の前でシバキ回された時の傷だろ。あの時、確かに僕は死にかかってた。紫色のさ、何処で買って来たんだかオモチャみてえなテニスラケットで頭ガッツンガッツンやられてさ。初めは痛くて怖くてつらかったのに、だんだん眠くなっちゃってさ。ああココまでなんだな、って思って」

 年食った僕は子供の僕を見て、記憶の蓋の内側に付いてたパッキンがバカになったみたいに色んなことを思い出していた。
そのどれもが痛くて、悲しくて、悔しくて、アイツのこと殺してやりたいと思うことばかりだった。
「なあ、僕たち、もう死ぬんだってさ。あのバスに乗ればさ、死の国へ連れってってくれるらしいんだよ。一緒に行かないか」
「……」
 子供の僕が今の僕を見上げて、怯えたような目をして震えている。そりゃあそうだ、この子には未来がある。
「そっか。死にたくねえよな。アイツのせいじゃ余計に」
そう言って振り向くと……バスの姿が無い。さっきまで低く唸っていたエンジンの音が、一体いつから聞こえていなかったのか思い出せない。あれ、どうしよう……!? そう思って今度は前を向き直れば幼い頃の僕も居ない。当たり前だ、幼かった僕が今くたばりかかってココに居るんだから。でも、この先どうしよう?

 どうやって、何処に向かえばいい!?
 どうやって目覚めればいい……!?

 カタコンカタコンカタコン……古くヤニ茶けた天井のプロペラが骨ばった音を立ててゆっくりと回っている。そのプロペラの軸を中心にして、僕の視界もゆっくりと回っている。プロペラと同じ方向に、多重構造のプロペラの一部に僕も変わり果ててしまったみたいに。

「起きたかい?」
 ぬっ、と僕の視界を遮って顔を見せたのは黒くモッサリした髪の毛に色白の肌、少し東欧的で柔和な顔をしたサンガネだった。僕のオーサカで唯一にしていちばんの友達だ。
「どのぐらいだった?」
「2日と13時間48分32秒」
「文字通りの短い休暇、か。上出来じゃねえか」
「そうだね。スッキリした?」
「いや……あまり寝覚めは良くないな。厭な夢を見た」

「ふうん。でもまあ、体力的には全快に近いみたいだね」
 サンガネは僕のボヤキをやり過ごして、狭い部屋中に敷き詰めるように立ち並ぶ巨大な機械たちの上で光るランプやグラフ、モニターの数値などを逐一チェックしながら呟いた。
「全く、こんなに消耗するならあんな気安く変身したり巨大化したり、しなきゃいいのに」
「仕方ないだろ、あぶくちゃんのピンチだったんだから」

 全身に張り付けられた吸盤と、そこから伸びるコードやスプリング状になったホースをプップッと引っ張って外し、薄緑のシーツが敷かれた硬いベッドから起き上がる。
「ああ、……あー、ほんとだ。結構、腰やら首やら軽いや」
「休暇の間に全身の筋肉や血管が収縮して、老廃物を押し流したり分解したりするんで浮腫みは相当とれてると思うよ。それに筋肉がほぐれてキレイになれば骨格も矯正されるし、その結果内臓の位置も安定するんでさっき言った老廃物の分解や体内に残留した有害物質の排出なんかも促進されるんだ」
「つまり……?」
「つまり……」
 ゴロゴロゴロゴログルグルピーー……
「君の体内の つまり も解消されるってわけさ。劇的にね」

「それを、早く、言え!!」
 下腹部に活火山でも抱えているような轟音と脈動をなんとか抑え込んでトイレに駆け込んだ。しかも検査用に手術着のような、紐で縛って固定するペラペラの浴衣のなり損ないみたいなものを身に着けているせいで紐がほどけず、しまいには引きちぎって便座に腰かけた。

 まあーー出た。出るそばからあまりの勢いにケツがちょっと浮くんじゃないかってぐらいの量と糞出力(ふんしゅつりょく)だった。よほど溜まっていたらしい。
 僕はその天狗の仕業みたいな逸品を無情にも水洗コックをひねることで文字通りの水疱と化し、それが下水道の彼方へとじゃあねえ! などと言って手を振りながら渦を巻いてゆくのを見送りもせずにトイレを出た。

「さて、改めて状況を整理しようか」

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ダイナマイト・キッドです 写真は友人のクマさんと相撲を取る私 プロレス、格闘技、漫画、映画、ラジオ、特撮が好き 深夜の馬鹿力にも投稿中。たまーに読んでもらえてます   本名の佐野和哉名義でのデビュー作 「タクシー運転手のヨシダさん」 を含む宝島社文庫『廃墟の怖い話』 発売中です 普段はアルファポリス          https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/376432056 小説家になろう                   https://mypage.syosetu.com/912998/ などに投稿中 プロレス団体「大衆プロレス松山座」座長、松山勘十郎さんの 松山一族物語 も連載中です そのほかエッセイや小説、作詞のお仕事もお待ちしております kazuya18@hotmail.co.jp までお気軽にお問い合わせ下さいませ

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