35.
「なんだ……これは」
「舎利寺、アイセンサーからの映像をコッチに送れるかい?」
「ああ……サンガネさんよ、こりゃあ一体ナンだ」
「培養ポッド……と、培養液、にしては充填水位が高すぎるな。だとするとこれは」
舎利寺の目の前に広がっていたのは、ごく普通の団地の間取りだった。しかしその床や壁には電気、蒸気、空気、そして正体不明の液体が流れている配管がびっしりと敷き詰められ、台所の冷蔵庫や洗面所の洗濯機を置くスペースには高さ1.8メートルほどの円筒形の培養カプセルが立っている。中身は緑色をした培養液らしきものが詰まっているが……培養されている筈のものが見当たらない。
「サンガネさんよ、オレがさっき見た緑色の物体ってのは……コイツにそっくりだ」
「なんだって、それじゃコレが」
「だ……ず……げ……べびゅぐぬゅ」
「オイ、しっかりし……ろ……!?」
ボクも舎利寺も思わず言葉を失った。彼に助けを求めて来たのは、おそらくさっき捕まったインフルエンサーの片割れだろう。女の子の方だ。だが体の殆どが見るも無残な姿になっていて……それは、まるで
「溶けちまったみたいだ。それも緑色に」
「おっと、そろそろ出番やな。ほなお二人さん、この辺でええかな?」
「なんか喋り過ぎちゃったかなあー!」
「あっすう、本当に神対応ありがとうございましたあ!」
「いやほんと、まだ始めたばかりで……助かりました。ばっちりでえーっす!」
「そら良かったわ、エエ記事書いてやー!」
白装束に促されて、そそくさと二人組の中年インフルエンサーが去ってゆく。部屋のドアがバタンと締まるのを見た栗永はキャプテンの方を向き直った。
「秣(まぐ)っさん、どうしましょ」
「どうするって、Show Must Go Onだよ。このイベントは完走しなきゃならない……さもなければ、俺たちに未来は無い。完走せずに終わった競争にはメダルも名誉も無い。リタイアの烙印だけだ。この街で、あの方々に、そんな烙印を押された奴の末路は……わかるよな?」
「ミチヲさん。いいもの撮れましたねえ」
「秀樹くん、これでコラボ配信の視聴率も稼げるかもね。ところで割り当てだけどコッチが7.5になるけどね」
白装束に前後を挟まれるようにして、横並びの中年インフルエンサーが上気した顔で廊下を歩く。
「え、あ、いや、そのぅコッチが2.5というのは……」
「あー、段取りしてねえ、ソッチに色々教えたでしょ。そういうのも、込み、だから」
「はあー……でもぉ、そのぅ」
ミチヲは不機嫌そうに咳ばらいをして、押し殺した声にタバコ臭い口臭を沁み込ませたような声で続けた。
「あのねえ、こういうのも経験が大事だからネ。分かると思って言うけども、初めは誰でもこんなもんよ? で、じゃあ秀樹くんがコッチにどれだけのことしてくれるの、っていうハナシ。今はね、本当だったら1.5貰えるか、ノーギャラでも何より代え難い経験させてもらっただけでも有難いでしょ。お二人にも会えたし、トークの勉強にもなったじゃない。だから、それは秀樹君もわかってくれてると思うけど、コッチがさあ、段取りから何からして、2.5だと想定より1.0も多いよね。こっちの7.5だって本当ならもっと貰ったっていいと思うし、それは秀樹くんもわかってくれてると思って言ってるんだけどねえ」
その時、しんがりを務めていた白装束の片割れが突然立ち止まり、小刻みに唸りながら痙攣し始めた。
「うひゃあーっ!」
「どっ、どうしたんです!? 具合が悪いのですか」
「何でもない、さっさと歩け!」
先頭を歩いていた白装束が驚きおののく二人の中年の肩を掴んで向き直らせ、そのまま歩かせた。震えながら仰向けに倒れた白装束の裾や袖からは、緑色の液体が流れ出て廊下の端の排水口から何処ぞへと消えて行った。
ステージのライブは佳境を迎え、再びMCでありクソデカジャスティス主宰のピーナッツ栗永Rが登場し客席を見渡すようにして長口舌を振るっている。
その間もキャプテン秣はひっきりなしに寄せられる報告を耳にしては、白装束に指示を飛ばしていた。舞台に躍り出た栗永の感情的で情熱的で「あまりの素晴らしさに段取りを飛ばしてまで伝えたかった、ありったけの感動と感謝の気持ち」などというのは無論、そのための時間稼ぎだった。栗永は、この決起集会(イベント)でこれまで行ってきた開発事業の結実を発表することになっていた。
キャプテンの言う通り、ここで失敗すれば自分たちに未来は無い。何としてもこのイベントは大成功をおさめ、そして実験体の完成と実用性と自分たちの献身をアピールせねばならないのだ。観客や、市民や、演者、インフルエンサー共にではなく、この映像をあべのハルカスでご覧になられているO.C.Pこと谷町スリーナイン様にである。
住民には観客としてステージに動員された者以外は、外出禁止令が出されていた。
実験の度合いにもよるが、出られる奴の中には先ほどの白装束のようになりかねない者も居たからだ。そんな中、団地に無許可侵入し動画の配信まで行っていた男女二人組のインフルエンサーが拿捕され実験室に連行された。そしてまた二人の中年男性インフルエンサーが訪問して来たが、こちらは上手くあしらった。しかし、追い返しているさなかに白装束が溶けた。
栗永の思った以上に、住民や白装束に投与した薬品は効果を表しており、そこかしこで身体が緑色に溶けだしたという報告が相次いだ。嬉しい悲鳴だった。だがそれは地獄の針山でほくそ笑みながらも、望外の針の鋭さに戸惑い始めた極卒のような気持だった。
「栗永君は、まだ頑張れそうかな?」
「ええ。インフルエンサーどもを2、3人、熱狂的なファンとしてステージに上げました。これでもう少し……」
「これでもダメなら客に暴動でも起こさせろ、何としても今のうちに事態を収拾してフィナーレまで持ちこたえるんだ!」
客席で熱狂の絶叫を続ける栗永と、それに同調しステージに上がったインフルエンサーたちの様子を撮影していたインフルエンサー界のお祭り男・ワッショイ富田林の端末に、軽快な効果音と共にメッセージが着信した。
慌てて周囲を憚りながら内容を確認するワッショイの背中越しに、マノが瞳の端でそっと覗き込む。そこにはインフルエンサー・ワッショイ富田林宛てに、クソデカジャスティス総司令部からの強化依頼(強めの依頼=命令)が届いている。
内容は件名をFor Your Eyes Only.としたうえで
・観客の熱狂が最大限を突破したことを表現するため、熱烈的行動表現にて熱意の発表と拡散をせよ。
・暴力、絶叫、辻説法など手段は厭わない。
・こちらは鎮圧をするが、その際にも精一杯の抵抗と当イベントならびに主宰のピーナッツ栗永Rに対する忠誠を叫ぶこと。その様子を他のインフルエンサーに撮影させ同調させ、リスナー(クソデカジャスティス並びに栗永は一般人のことをそう呼んでいる)の意識を誘導すること。
・ただし、鎮圧にあたった係員には手出しをせず、その段になったら叫ぶ、泣くなど穏当な表現に切り替えること。
・捕縛後は速やかに退出し、その後は指示に従って行動すること。
・個人の判断での謝罪、弁明などは行わぬこと。
と、あった。
「……な、なんだと」
「どうしたワッショイ、このあと誘ってた子にでも振られたか?」
何も知らないふりをしたマノが呑気に尋ねたが、ワッショイの横顔はそれと分かるほどに額が脈打ち、瞳は真っ赤に充血して怒りにたぎっていた。歯を食いしばって、唇を震わせ、マノの軽口に応える余裕もなく、熱狂の決起集会(イベント)のなかで彼ひとり、その場に立ち尽くして震えていた。
「オイラに、オイラにそんな、気狂いピエロの真似をしろっていうのか……」
「なんだって?」
「マノ。オイラぁ、こんなナリだがどんなイベントでも盛り上げて来たし、楽しんで来たつもりだ。たとえ仕事と割り切っていても。そしてそんな自分が……正直ちょっと好きだった。でもなあ……もう、これっきりかも知れねえ」
「どうしたんだ、お祭り男がずいぶんとショボくれちまって」
「なあマノ。インフルエンサーなんてのは、所詮はタダで便乗する代わりに宣伝や指図通りの行動をすることで生きていく、コバンザメのフンでしかねえのかもな。オイラぁ、ほとほとイヤんなった。……用済みってことらしい」
「さっきから聞いてるとよ、まるで君は決死の特攻隊にでも任命されたみたいじゃないか」
「みたいじゃなくて、そうなんだよ! オイラぁ、インフルエンサーのワッショイ富田林は、今日でもうオシマイ……もう、オイラぁ終わっちまったんだ!」
「馬ぁ鹿、まだ始まってもいねえよ」
「な、なん……」「君にこの場で暴動を起こさせて、その様子を他のインフルエンサーどもに撮影させ擁護のコメントを添えることでリスナーとやらの誘導しろ、と?」
「!?」
「ワッショイ。生憎と僕は並みの人間じゃないんでね、君に下された命令を読み取るぐらいお茶の子さいさいさ。……でもな、それ、面白そうじゃないか。いっちょ乗ってやろうぜ」
「な、な、なぜ、なにを」
もはや何処から何を聞いて誰を信じればいいのかわからなくなったワッショイにマノが囁く。
「君にこの場で突然暴れろってんだろ? ああいいとも。奴等の言う通り大いに暴れてやろうぜ。それで、こんなクソみてえな稼業もイベントも今日限りだ。そうだろ、君はワッショイ富田林……お祭り男のフィナーレにふさわしい大暴れをしてやろうじゃないか!!」
「お祭り男の……フィナーレ……?」
「そうだ! 僕も手伝うよ。発狂したらまず君は僕の右頬を殴れ、それが合図だ。あとは僕に任せろ」
「任せろって、どうするんだ」
「ただ暴れただけじゃ君は粛清されて終わりだ。でも、君が君の被害者以上にひどい目に遭わされたら……?」
「そりゃあ、オイラも立派な被害者に、っておい!? どうするつもりだ」
「こうするんだ、よっ!!」
言うが早いかマノの右拳がワッショイの肩口にバスンと入った。無論、本来の実力の10分の1も出していない。間髪入れず、マノは肩口に2発、脇腹に左を1発、さらに嘲るようなローキックを右足に当てて
「どうしたお祭り男、お前の感動と熱狂はそんなもんか!」
と煽った。さらに
「コバンザメだって食ったエサが無きゃフンも出ねえんだ、お前らインフルエンサーが誰かにエサをくれてやったことがあるのか? いつもいつも食うだけ食わせてもらうだけで、クソの代わりにクソみてえな提灯記事をケツからぶら下げて仲間内で褒め合ったりリスペクトしあったり、それで楽しくクリエイティブな暮らしをエンジョイしてるつもりでいやがる。何処までもおめでたくて空虚な連中だよ。ネジの一本、パンのひとかけらも作らないで、クソばかり垂れてやがらぁ」
と言いながら、胸や肩を小突く。頭を掴んで揺さぶる。するとそれがこれまで強いられてきた抑圧と体制への失望と混じり合い、やがて屈辱の炎となってワッショイ富田林として活動(や)ってきたことへの踏ん切りをつけるための燃料に着火し、お祭り男の怒りを封じた溶融栓を焼き飛ばした。
「ぐぅおおおおおおおおあああ!」
あたかも感涙にむせぶような声を上げたワッショイが、マノに向かって掴みかかった。
「うおおおおお! お前に何がわかるんだあああああ!! オイラは、オイラはずっと、クソデカジャスティスのために……偉大なショーマンにして最高の男、ピーナッツ栗永Rという男のために、立場じゃねえ、忖度でもねえ、インフルエンサーと主宰という関係を越えた絆を感じていたんだ、それがオイラの全てだった!!」
マノのシャツの胸倉を右手で拳に巻き込むように掴み、そのまま揺さぶりながら怒鳴り続ける。
「オイラは、オイラは……こんちくしょう! もう金輪際だ!!」
そしてワッショイの振り上げた拳はマノの右頬に向かって真っすぐ吸い込まれるように飛んで行って、ガキッと固く鋭い音を鳴らした。
「この野郎! 黙って聞いてりゃ何がインフルエンサーだ!!」


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