「マノ」
「おお、サンガネ。こりゃあいいチャイだぜ。何も言ってないのに砂糖抜きで出してくれるのが有難いじゃないか。香辛料がバッチリ効いてて、僕好みのチャイだよコレは」
「お兄さん、えっとマノさんね。注文するときにコッチばかり見てたでしょ」
ミロクちゃんが店先に並べた香辛料を指さして続ける
「だから、ああスパイスが好きなんだなって。そういう人は、お砂糖入れない人が多いし。まあ、お砂糖っても高いから、入れるにしても精製してない粗糖とか、糖蜜を砕いた蜜糖になるけどね……」
「よく見てたねえ。貴女には嘘がつけないや。それにお砂糖なんかなくたって、こんな別嬪さんが居てくれたら気分がスイートで」
「よく言うよ、あぶくちゃんの前と大違いだ」
ミロクちゃんが赤く燃えた炭をつまんで、手際よくシーシャの準備をしている。彼女はここ数年、この小さいながらもこだわりの詰まった屋台を一人で切り盛りしていた。ボクたちが腰かけている椅子やテーブルもショウワ町にある奇貨物商店DDで彼女が選んで仕入れたものだ。
見た目はゴスチックなワンピースに黒い髪の毛を背中までまっすぐ伸ばして、白い素肌に端正な顔たちと映画に出て来そうなクールさを発散している。だが心根は優しく、店が暇なときは戦前の耽美文学や海外のSF小説、画集なんかを読みふけっている物静かな人だ。目鼻はハッキリしているが口角の上がった赤い唇がふくよかで、そこが本人もわかっているのかよく笑う。
「あれ? ギーガーじゃん」
「ああ、コレ。巻物の番人だね。ギーガー、好きなんだ」
「うん好き」
「知らないで見るとビックリするよね。これ」
「ね。無知とは力なりっていうけど、知らないことで受けるインパクトってあるもんね」
「1984を読んでるのか」
「オーウェルめっちゃ好き」
「僕も好き」
「趣味が合いますねえ」
マノが取り出したシーシャ用のマウスピースのケースに描かれていたのは、首から上だけ切断された女性の頭部に無数の管が突き刺さって伸び、周囲には髑髏や獣の死体をモチーフにしたオブジェクトが散りばめられた不気味なデザインだった。でも、これはどうやら海外の有名なデザイナーの作品らしく、ミロクちゃんとマノはそれを端緒にブンガク談議に華を咲かせているようだ。
お待ちかねのシーシャに温かくスパイスの効いたチャイ。
賑わう広場の片隅で、青く晴れた広い空に向かって甘く白い煙を吹き出して溶かしてゆく。傍らには同じくシーシャを吹かす別嬪さん。実に青空市場を満喫しているマノを置いて、ボクは買い出しに向かうことにした。
どうせ放っておいてもこのままミロクちゃんのそばを離れっこ無さそうだし。
何なら何かと物騒だ、このままミロクちゃんのそばに置いておいたほうがいいかもしれない。
もっとも、何事も無かった場合いちばんアブナイのはマノ本人なんだけど。
広場の一角に戦前からの骨董品や古道具、使い道のヨクワカラナイ機械や機械だった残骸、ガラクタ、ネジ、ボルト、ナット……そのほか便利工具を専門に扱う露店が集まった場所があった。ここはオーサカ屈指の道具屋市で、長年にわたって桃谷の青空市場が愛されてきた理由のうち最も古いものの一つでもある。
「こんちわ」
「おおーサンガネ。よぅ来た。頼まれとったモン入ったでぇ」
「ありがとう、助かるよ。何しろ何処探したって、今どき発光ダイオードなんて手に入らなくって」
「そんな時のための桃谷や。ホレ、状態もエエし新品同様!」
「ほんとだ。こんな綺麗なのは初めて見たよ」
ボクはボクで、すっかり青空市場を満喫していた。機械や部品に囲まれていると、それだけでなんだか楽しくなってしまう。それにここには、そういった道の先達でありプロがウヨウヨしているから、出来ることなら長居して、お金と時間の許す限り買い物や四方山話をしていたい。
「サンガネー!」
あっ。あぶくちゃんだ! 遅かったな。それにしても間に合って良かった。
「おーい、こっち……こっ……」
あぶくちゃんの声のする方に振り向いて彼女を呼ぼうと思った僕は、とっさにその声を引っ込めて、振ろうと思った手を降ろした。


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