第62回「ふたりは幸せな記憶の中で(前)」

 玉虫色の水玉が光る液剤カプセルを、ふたりでひとつずつ摘み上げてかざす。色を変えては鈍く輝くアーモンド型のひと粒を口に含んでも、乾いた舌と喉がそれを押し戻す。まるでまだ悪あがきを諦めきれない無意識の抵抗であるかのように
 静けさだけが月明かりになって降り注ぐ夜。隣には、そんな静かな夜も、荒れた嵐のような日々も、文字通りの苦楽を何十年も共にした君
 そういえば出会った頃から、君は錠剤やカプセルを飲み込むのが苦手だったな。たまにサプリメントや医薬品を買ってきても、粒が大きいと飲み込むことが出来ないからといって結局僕が飲んでいた。苦い、苦しい、粉薬も顆粒も漢方薬も、そう言って殆ど飲まなかったのに、今日まで殆ど病気しなかった
 丈夫だったんだね。最期まで。このカプセルは飲み込めるかな、そしてちゃんと効くのかな

 白衣の女性が用意してくれてあったカモミールティーで、玉虫色のカプセルを流し込む。喉の奥へ消えてゆく違和感と異物感。僕は隣に座った君の、すっかり年老いた笑顔を見る。君も同じタイミングで僕の顔を見て、すっかり年老いた微笑みを見せた
 長く太い髪の毛はすっかり白く細くなり、空調のかすかな風にも軽くなびいた

 さっき飲んだカプセルのせいで、まだ胸の奥が突っ張っているようだ。喉から絞り出そうとした最後の言葉がかすれて、舌の上で寝転がったようにして口からなかなか出ていかない。まごまごする僕を見た君が皺だらけの声で言った言葉
「長い間ありがとうね」
 それを僕も、そっくり同じフレーズで返したいのに、唇が頬の内側が喉が震えて言葉が出てこない。まるで舌を縫い付けられたように震える顔に熱くて冷たい涙がこぼれて、皺だらけの手の甲にポタポタと降り注いだ
 濡れた僕の手にそっと自分の手を添えた君の手は冷たく皺だらけで、かさかさしていて、血のぬくもりが残っていて、僕はその感触を抱きしめるように目を閉じた

 夢をあきらめて、それでもそれなりに楽しく過ごしていた。湖のほとりにある田舎町で、夕暮れ時の堤防。小さな川。ススキと田んぼの稲穂に降り注ぐ濃い橙色の夕陽。君は白いコートを着て、柴犬のリードを引いていた。愛犬の名前は……名前は……
「もみじ」
 出会った頃と変わらない、低く澄んだ声がする。柴犬もみじのリードを握ったまま君が振り返って、僕にそう言った
 長く太い黒髪、気の優しい大きな瞳、口元のほくろ
「そうか、もみじか」
 もみじ、と名前を口にするたびに、君の足元で柴犬がキョロキョロするのが可愛くて、何度も名前を呼んだ。その愛犬はもう何十年も前、結婚してすぐに死んでしまったんだっけ
「おとうちゃん」
 不意に背中越しに呼ばれた気がして振り返ると、幼い男の子が僕の方を見て、くりくりした眼差しを向けてにこにこ立っていた。ヒーロー番組のパジャマに、ソフビ人形を手に持っている少年は僕の息子だ。……小学校二年生のとき交通事故で命を落とした、その時のままの姿をしている
「んとねー、僕ね、ナントカカントカって言うところに行くね。じゃあね!」
 眠れない日々を過ごし続けていたあの日、僕の夢に出てきた彼は確かにそう言い残し旅立って行った。何度も夢に見た幼い息子の姿
「おかあちゃんとおとうちゃんも来たの?」
 ああ、そうだよ。ナントカカントカ、じゃわからないだろう。それはサイホージョードと言うんだよ
 答える代わりに差し伸べた僕の手は、君が幼い頃のまま。鍛えた名残で太く、肉体労働で日焼けした腕と大拳頭の発達した手のひら。幼い息子のつやつやした髪に触れて、ゆっくりと撫でる。息子を間に挟み、三人並んで夕焼けの砂利道を歩く。暗い水をたたえた川がせらせら流れる。柴犬もみじが時折バフッと吠える。幼い息子が教えてくれる。この道の先に、何があるのか。どんな場所で、誰が待っていてくれるのか──

 夢の中で夢を見ることが時々あった。目を閉じると意識と連結した風景が千々に乱れ繋がっては途切れて火花を散らす。まるでコンセントとソケットを抜き出ししているように、青白いSPARKが飛び散って、樹脂を溶かして燃えてゆく。黒い煙の中に浮かび上がる憎しみ、嫌悪、嘔吐、悲劇ぶった振る舞い。後悔の焼け跡に白骨化した無意識と灰になった美意識と拾い上げた自意識の成れの果て
 骨壺すら大きすぎる、ホネになったらこんなもんなのか
 もうすぐ日が暮れる。川にかかった橋を三人並んで歩いて渡る。遠くの街に灯りがついて、県道を走りゆくクルマのヘッドライトとテールライトが交互に行き交うのが妙にハッキリと見渡せる。少し寒いのは、この記憶が十一月十七日のものだからだ
 
 どす黒く静かな川の水面に浮かぶ、しあわせな時間の数々。笹船のように音もなく流れて行って沈む。あぶくに包まれた記憶の内側を探る。燃えるような夕焼けを背負って、長い影を引きずって、足音を揃えて歩く
 砂利道の砂っぽい足音がざっこざっこじゃっぱずっぱと並んで、息子の小さな足跡が少し先を行く。この子があのまま大きくなっていたら……何十年間、そう思い続けて生きて来ただろう。何十年間、それを悔やみ続けて生きて来ただろう。何十年間、誰かを恨み続けていたのだろう……
 何十年間、君にまた会えると、信じ続けて生きて来ただろう

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