湾岸特急カシオペア号からプラットホームに降り立ったのは丸いレンズの眼鏡にフリフリの黒いワンピース、黒髪をショートカットにした君。他に乗客は殆どおらず、流木のような杖を突いたボロボロの老婆がほっかむりの向こうから
「おはんで御座います……おはんで御座います……なにぶん可愛がってやってつかぁさい……」
と、セリフの練習みたいに独り言を呟きながら降りて来て、いずことも知れず消えていったぐらいだ。寂れて久しい駅構内には空っぽの広告看板や遥か昔に営業を終えた売店跡が残されている。その前を足早に通り過ぎ、殺風景なコンコースを抜けた君は「確かめに来た」
という。事実と想像が食い違っていることを確かめるためだけに、はるばるやってきた君が足を踏み入れたのは、一面に広がる
「あぶくの世界」
だった
あぶくちゃん。と僕が声をかけるよりも早く、君は手ごろな大きさをした硬膜化重金泡(ヘヴィバブル)を爪先でコンコンと蹴って硬さを確かめるとチョコンと座り込み、持ち歩いていた黒く重たそうなリュックからモバイル端末を取り出して何やら文字を打ち込み始めた。僕は券売機だった高さ2メートルほどのボタンの多いガラクタの裏手に誰かが隠した蒸気式の水煙草を見つけて、それを引っ張り出して炭に火を起こした。ライラックとカモミールを混ぜてジャスミンでまとめた香りが微細な蒸気に乗って吸入口から出てくる直前に、腐った玉桃の種汁を潜り抜けて台無しになる。悪臭を放つばかりのスチームを投げ捨てて、フラスコが割れる瞬間
アギャアアアアアアアアアア!!
と確かに叫んだ。君はそれすら意に介さず端末への入力を止めない。目にも留まらぬ速さで画面を見つめたまま指先だけを動かしている。細くしなやかな白い素肌の両手と、目を細めて画面を睨みつける顔がそれぞれ別の生き物みたいに美しく物騒だった
黒い髪は少し傷んで枝毛がハネて、黒い瞳の周囲は濁った白目、黒いワンピースとストッキングはそれぞれに愛すべき解れを生じ、全体的に美しさと生活感のギリギリのバランスに手足を付けて歩かせているような、そんなあぶくちゃん
瓦礫の山と化した駅前広場のひび割れた地面から生えた大小さまざまなあぶくの表面には重金属性濃脂油膜の虹が横たわって伸び縮みしている。赤い空、黒い雲、黄色い芝生と紫の木立には黄金のハッパがサラサラなびく
「ふーっ! ヨシ!」
ヘルメットをかぶったネコのように画面を指さして、漸く文字入力に区切りが付いたらしい。あぶくちゃんは端末をリュックに仕舞い込みながら立ち上がり、どっこらしょ、と背負って
「お待たせ!」
と微笑んだ。駅名表示の液晶パネルがジリっと鳴って、紫色の火花を散らす。かつて駅だった場所から、かつて連絡通路で結ばれた東館と西館の百貨店だった高層建築物の地下道に入る。駅前に交通会社が経営する百貨店が聳え立ち、都市開発の一翼を担っていたのはいつの時代だったか。果たして自分が生まれた頃には、もうそんな文化も都市もすっかり荒廃していたから、駅前は廃墟と相場が決まっているような気がして、賑わいを見せていた往時の様子を想像することは難しい。あぶくちゃんは湾岸駅前地下大通りY211銀座から枝分かれした小さな地下通路を躊躇うことなく右へ左へと小走りに進んでいった。迷路のように入り組んでいて狭くて暗い地下通路の両脇には、かつてお店だった場所や自動販売機、案内板、広告用のホログラムパネルの残骸が土埃にまみれたまま残されている。さながら地方都市文化そのもののカタコンベだ
古いカフェイン入り炭酸飲料の空き缶が転がっているのを見つけたので、ひょいと手に取ってみる。手持ち型の極小プラズマ太陽球の白い光に照らされたそれは雨風にさらされていないせいか、サビもせず埃が積もっただけで案外キレイなままなのが妙に生々しい。あぶくちゃんも少し歩みを緩めて、辺りをしげしげと見渡している
「うん、やっぱり違うな……うん、違う!」
さっきから反芻しているかのように、口の中で繰り返しブツブツと呟いている。違う、違う……あぶくちゃんは、一体何を確かめたくて、そして何が違っていて、いま何を思っているのだろう
つづく


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