手のひらの中に、ずしりと重たいものが丸まっている。
蛇口から絶え間なく流れ続ける冷たい水を浴びて、泥や砂が落ちて、それが少しずつ綺麗になってゆくのを感じている。
目を閉じてジャガイモを洗う。
左右の手のひらで包み込むようにしてむぎゅっむぎゅっと流水で磨く。皮まで一緒に食べたいから、キレイに。綺麗に。
丸みのある凹凸をひとつひとつ指でなぞる。時々すぽっと窪みに指がフィットして、溜まった砂をスルリと掻き出す。ジャーっと響く水の音が流し台のプラスチック容器に溜まって、どぼどぼと溢れる音に変わる。
窓の外は工事。お向かいの家を解体している。凄まじいドリルや重機の音が一日中、防音と書かれたシートの向こうからあふれ出して響き渡る。
お向かいの家は4階建ての古いビルで、いちばん下はテナントになっている。向かって右はとっくの昔に閉業した繊維問屋の名前が今も残っていて、普段はもぬけの殻だ。節分や七夕の時期になると町内会の催し物があって、公民館がわりにここで豆まきや七夕会をやった記憶がある。少子化で町内に子供が居なくなり、そんな光景も久しく見ていない。
左側は魚屋さんだった。その経営者家族がビルの持ち主で、老朽化で取り壊すことにしたのだという。
我が家の古いアルバムにもその姿を見ることが出来るこのビル。半世紀以上、この場所に佇んで往来を見つめ続けて来た。我が家の屋根も。だから解体工事の音も、屋根の上から響いて来るので余計にすさまじい。
ジャガイモを洗うジャーッという音、電気ドリルのガタタタタタタタタという音、瓦礫を運ぶトラックのエンジンの音と、排気ガスのにおい。
ドリルの音をずっと聞いていると、ガタタタタタタタタがダダダダダダダダダになり、ガララララララになって、またガタタタタタタタタに変わる。流れ続ける水が色や幅や速度を変えてゆくように、あふれ出る音も形や調子を変えてゆくらしい。
昔の写真を見たところで、あの頃はよかったとか楽しかったと思えるうちはいいほうで。その楽しくて良かったうちにさっさとくたばらなかった自分にガッカリしてメソメソしてどう死にたい?
筋トレなぞ幾らやっても鬱は消えない。意志のない筋肉は誰も裏切らないけど意思の弱い俺は簡単に自分を裏切る。筋トレして自分を追い込むぐらい自分と暮らしに余裕のある奴が、筋トレなんかしてる場合じゃない奴を真っ白な歯を見せつけてニカニカキラキラ笑いながら首を絞めて追い込む新手の地獄。
いい年した大人が言うスポーツや恋愛や学校生活という青春は「そんなことで一喜一憂してるうちが華だった」というだけの話なので、陰キャ学生もとい20年前の俺よ安心しろ お前もいつかそうなるんだ。
豆だけが同じところに置いてある。
殺風景な部屋。それは灰色団地の雨の日にクリーム色した鉄のドアに浮かんだ結露を集めて早しカメレオン。テーブルの上には豆。ベージュの大豆を座椅子で眺めるアイツもコイツも耳だけを同じところに置いている。
俺もお前も自由な鳥だから、何処へだって飛んで行ける。
狭い校庭から、教室の窓から見上げた空が、いつか無限の大空になる。
そして必ず、背中に小さな翼が生えて来る。
飛び立てばいい、飛び立たなくてもいい。いつかは羽ばたかなくちゃならない。
今は逃げたっていい。何処へ行っても、何処に隠れても同じことなんだ。
全部同じ空の下なんだから。
だから今を諦めて、自分を諦めて、命を諦めちゃいけない。
自由な鳥だから。何処へだって飛んで行けるから。
必ず今の自分から自由になれる日が来る。今は逃げても、隠れてもいい。
何処まで逃げても大丈夫、いつまで隠れてたって大丈夫。
今の自分から自由になれる日が、必ず来るから。
真夜中の山道で記憶喪失の美女に遭う。充電器から端末に流れ込む記号と抵抗。酢飯で巻いて海苔で包んだ黄金郷。もう少しだけ遠くの空の下へ行ってみようか。電信柱を数えながら。ビニール袋をガサガサ揺らしながら坂道をのぼって、路面電車のシルエットに追い越されて。水晶玉にうつる景色をポケットにそっと忍ばせて。
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