泣き出してしまった母親を見て、長男のマトは何となく今、自分たちは酷いことを言われた・されたのだということがうっすらとわかってしまったようだった。それでなくても、あれだけの侮蔑に満ちた眼差しや言葉を浴びれば、どんなにニブくても気が付いてしまいそうなものだ。
そっと自分の持っていた小さな布切れを取り出し、ミンミの頬を拭った。彼女はそれに気づいて、マトを抱きしめてまた震えていた。赤ん坊のニャミだけが、ゆりかごの中で空を見上げながら、小さな手をふりふり動かしてご機嫌で居る。
そのとき、背後から乾いた足音がツカツカと近づいて来ていたことに気付いたボクは、マノと舎利寺が帰って来たのだろうかと思い、「遅かったね」と言いかけて、自分で自分の顔から血の気が引くのを感じた。後ずさったり、なにか言おうにも体がこわばってしまっている。あぶくちゃんとミロクちゃんが、とっさにニャミのゆりかごと引き寄せ、マトの手を掴もうとしたところで足音が怒鳴り声に替わった。
「そこの薄汚い乞食母子、ココで何をしている!」
ツカツカと早足で踵をタイルに叩きつけるように近寄って来たのは、UWTBの警備兵だった。さっきの二人組が、通りがかりに何か申し付けたのかも知れない。不審者・侵入者などの通報には褒賞があるうえ、一心会ではそうした報告を推奨する条例も出している。
「あっ、すみまひん。いらっしゃいまひん、私たちは」
泣き顔を拭ったミンミが不器用なスマイルを作り直して、警備兵の声のする方に向き直った瞬間。
「何をしている、と聞いている!」
と怒鳴りつけ、そのまま右足をまっすぐに伸ばしてミンミの肩口を蹴り込んだ。
「ぎゃっ!」
「ちょっとサンガネ、マノと舎利寺を……」
「しまった、カマボコ板を持たせておくべきだった!」
「私、呼んで来る!」
「お前たちも動くな!」
横向きに倒れ伏したミンミの背中を踏みつけながら、ボクたちにも怒声を浴びせる。濃緑色の制服に制帽、おそらく爪先や踵には鉄板の仕込んである黒いブーツ、手には既に硬化軽量スチール製の三連折りたたみ式警棒を握り締め、警備兵がなおも怒鳴る。
「認定証と許可証はどうした、ここが何処だかわかっているのか、ええ、こんな薄汚いものを拡げて、ゴミを並べて、オーサカ復興のための健全文化振興を妨げるうすのろどもめ!」
手に持った警棒を振り回し、ミンミの背中や太もも、後頭部まで散々に打ち据えた挙句、母子が丹精込めて育てた果物や作物を次々に踏み潰していった。それにもかかわらず、ミンミは暴虐的な警備兵に許しを乞わんと詫び続けた。
「あう、痛いですひん……すみまひん、ごめんなひん。どうか許可、許可をくだひん……私たち、わた、許可を……」
「やかましい! どのみちお前らなんぞに許可など出さん、お前らに与える場所も許可も、このオーサカシティには残っておらん!」
「わかりました、わかりましたか、ら……もう、もう……帰りま、帰りますひん、許してくだひん」
ミンミの頬がみるみるうちに青くアザになって、ボロボロと流れる涙には真っ赤な血が混じっている。ひどい、こんなことをするなんて、あまりにも、幾ら何でも……!
「ご、ごめんなひん……許して……ゆる、して……!」
「にゃあああああああ!!」
ゆりかごの中のニャミが烈火の如く泣き出した。その声は、まるで超音波のように耳をつんざき、空気を揺るがして地面まで震わせるようだった。
「にゃあ、うにゃあ、にゃあああああああ!!」
「ええい……うるさいガキだ!!」
「にゃあああああああああああ!」
「や、や、やめてえ!」
憤怒の形相でツカツカと近寄って来る警備兵の足元に、あぶくちゃんの手をすり抜けたマトが必死の形相で組みついた。細く薄い背中に大きな頭が乗っかって、つやつやの髪の毛がゆさゆさと揺れている。
「離せ!! チッ、それならお前から先だ!」
煮えたぎるような舌打ちをした警備兵が一寸の躊躇いもなく、マトの脳天に目掛けて、ぎらりと光る警棒を振り下ろした。
薄黄色の陽射しが真っすぐに照らす植え込みの緑に、小さな額がバックリと割れて吹き出した真っ赤な血が飛び散って、きらきらとスローモーションで煌めいた。
「びゃーーっ!!」
「ま、ま……ト?」
虚ろな目をしたミンミが、悲鳴のする方を探そうと辛うじて頭を上げるが、すぐに力尽きて地面に突っ伏した。
「手間かけさせやがって、このガキ。母子ともども薄汚い奴等め……!」
ピクリとも動かなくなったマトのアタマや胸を執拗にブーツで蹴り込む警備兵の制服は返り血でべっとりと汚れていた。黒いブーツにも、銀の警棒にも、母子の血がこびりついている。
「あの子……」
「……!」
ボクは自分の非力さを、臆病さを呪った。あんな小さな子供でさえ、自分の家族を守ろうと立ち向かったのだ。それなのに。
「やっぱり行くわ、私、マノと舎利寺さんを探して来る!」
「ミロクちゃん!」
それだけ言い残し、長い手足て飛ぶように走り出したミロクちゃんが、遊歩道のカーブに差し掛かったところで跳ね返って倒れた。
「キャッ!」
短い叫び声をあげて仰臥したミロクちゃんが見上げた先に立っていたのは……怒りの形相を露わにした、美しいプラチナブロンドを短く刈ってオールバックにした頭髪、意志の強さを表す薄茶色の眉、猛禽類のように碧く鋭い眼差し、鷲鼻に引き締まった唇を持つ二枚目で、深く染めたダークスーツにイエローのネクタイで筋骨隆々とした体躯を包み込んだ……環オーサカ此花区文化粛清軍UWTB最高司令官、ヴィック・クリス大佐だった。


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