OSAKA EL.DORADO 30.

 舎利寺は元・環オーサカ文化粛清軍の一員で、生野区に展開する部隊・ブリッヂクレインに所属していた。その経歴から各地に情報網を持っていて、時々ボクたちにそれを教えてくれた。
「大正区だ。大正区の粛清軍はO.C.Pから正式にオーサカシティ健全文化振興推進互助団体としての認可・表彰を受けることが決まったとかで、千島公園で大規模な決起集会を行うそうだ」
「なんだ、その健康優良不良少年互助ナンチャレってのは」
 マノがシーシャの煙をフワーっと吐いて、こないだ見ていたアニメ映画のセリフと洒落た。
「健全文化振興推進互助団体、だよ。要するに、一心会が自分たち以外の文化勢力を排除するのに今までは裏金を渡していたんだ。だけどそれだと自分たちの身銭を切らなきゃいけないし、何よりそれが明るみに出た際の工作にかける手間とカネが無駄になる。だから、表だって堂々と補助金の名目で活動資金(カネ)と勲章を渡すことで、双方後ろめたいことなく活動が出来るようにしたってわけさ」
「幕府が泥棒に義賊のお墨付きをくれてやったようなものか」
 マノがまた混ぜっ返し、舎利寺がフンと鼻を鳴らして返事を続ける。
「まあそんなところだ。その端緒が、大正区の粛清軍。クソデカジャスティス」
「クソデカジャスティス」
「そういう名前だから仕方ない」
「名前はふざけているが危険な連中だ。千島公園の隣の千島団地に入居しているのは、みんなジャスティスだ」
「みんなジャスティス」
「奴等、あの団地で何か危険な実験を色々していたらしい。だからサンガネなら、何かわからないかと思ってな」
「実験ね……」
「団地の住民はクソデカジャスティスの連中か、捕まって洗脳された連中だ。奴等は住民を使って人体実験や化学実験を繰り返しているらしい。ネジリモトが団地に潜入して、そのことや決起集会のことを知らせてくれたんだが」
「連絡が途絶えた、というわけだね」
「いよいよ……ジャスティスだな」
 マノはジャスティスって言葉が気に入ったみたいだ。ネジリモトという人物は、恐らく舎利寺の情報源なのだろう。

 舎利寺が持ち込んで来たネジリモトなる人物からの報告は衝撃的なものだった。
 大正区文化粛清軍クソデカジャスティスは既に大正区役所周辺を占領し、千島団地に構成員を住まわせるほか、勧誘、紹介、拉致、洗脳などで取り込んだ人間もそこで管理し、数々の人体実験を行っていたのだ。それも連れて来られた外部の人間のみならず、構成員ですらも知らず知らずのうちに加担し、被害に遭っているという。
 その最たるものに、千島団地で使用する水の中に毒性の強い物質を微量に混入させ、住民に投与し続けたというものがある。飲料や炊事で直接体内に取り込むだけでなく、入浴で体表を覆い、蒸気を吸入し、常にその水に触れ続ける環境で生活をさせていたのだ。この毒性物質の正体は明らかになっていないが、人間の体を何らかの変異体にするためのもので、かつそれを生物兵器として使用する目的があるとみられる。
 下位の構成員でも団地に住んでいればこの実験には参加することになるし、外部の人間で、かつ拉致監禁された者にはさらに苛烈な仕打ちが待っていた。

 キノコやカビの胞子を細胞に移植された者や、下水道でも生活が出来るようにゲジゲジやムカデなど多足生物の遺伝子を組み込まれた者、放射能汚染された区域でも生存・生殖が可能になるため遺伝子を組み替えられた者……枚挙に暇がない人体実験は、その殆どが人道を無視して行われていたという。さらに──

「これが、ネジリモトが最後に送って来た通信だ」
 舎利寺が取り出したのは赤い小型の折り畳み式携帯電話で、戦前にスマートフォンなるものが出回る前に数年ほど主流だった通信機器だ。この中にマイクロSDカードが入っていて、それでデータの保存や取り出しが行えるようになっている。こんな代物がまだ残っていたとは。
「こいつはもう登録されていない端末だからな。あらゆる通信網から遮断されているおかげで、外からのぞき見される心配は無いってわけさ」
 そう言いながら太い指先でチマチマとボタンを操作し(ボタンを押すたびに鳴るポピ、ピピ、という操作音が懐かしい)やがて一つの音声ファイルを再生し始めた。

──あ、あづい……ぐね、ぐも、むごゅ、ああ……も、もごげえどど、ぢじ、じぢ、ぢばば、だぶ……ばあああ、がぶごぶ、どげ、どげでぐでがじが……じぬ、じじだぐだじだじ……がごぶご!!

「これは……!」
 まるで水の中で喋っているように、ゆがみ、くぐもった声は間違いなくネジリモトのものだという。声にならない声の向こうでは、ガスを圧縮する音や、液体を押し流すような音が響いている。一体どういう状況で、かろうじてこれを送って来たのだろう。
「この音声を受信してから、丸一日になる。定時連絡も無い。それに、奴は下部構成員として団地に潜入していた。正体が露見したのか、それとも実験によって何か……」
「ぢじぢばだぶ、ってのは、千島団地だろうな。その中で何かあったんだ。いや……そのネジリモトは、きっと何かされたんだ」
「じゃあ、己の運命を悟って……」
「最後の力を振り絞って通信を送ってよこしたのだろう」
 マノが再び香しいシーシャを吸い込んで、天井のサーキュレーターに向かってフワーっと吐き出した。それを見て舎利寺が続ける。

「しかし、先が思いやられるな」
「どういうことだ」
「俺の居た生野の他に、大正。そのほか西成、此花、さらに天王寺・阿倍野と5つの区に粛清軍が組織されているんだが」
「大正区の粛清軍が公認されたとなると、残り3つも時間の問題だろうね」
「阿倍野と天王寺はニコイチなのか?」
「O.C.Pの本丸は阿倍野にあるんだ。あの高いタワー……昔はあべのハルカスと呼ばれていた商業施設だったんだけど、奴はあそこに居る。そのお膝元で旧国道25号線を挟んですぐ向かいの天王寺は、このオーサカシティでも真っ先に粛清軍が幅を利かせて行ったところなんだ」
「そんなところと隣り合わせで、よくここが租界として生き残ってるな」

「そりゃあ、そうだ。何と言ってもここは私のお膝元だからね」
「府知事!」
「ブラウン……!」
「マノ、そんな府知事に向かって」
「いいんだ。君たちは友達じゃないか」
「ともだち……」
「おっと、新しい友達が増えたんだったな。アマリージョから聞いたよ、大活躍だったそうじゃないか」
「お、押忍……!」
「気にしなくていい。これまでの君と、これからの君は別だ……そのぐらいの心持で戦ってくれ。頼りにしているぞ」

 オーサカ府知事のブラウン日本橋が相変わらず上質なスーツに革靴という出で立ちでフラリとCafe de 鬼を訪れた。椅子を寄せてボクたちの会話の輪に加わると、場の雰囲気が自然と府知事を中心にぐっと寄ってゆく。
「マノ、生野での様子を見せてもらったよ。噂に違わない実力は勿論だが……あの場に居た善良な市民を殆ど傷つけずに守ってくれた。府知事として礼を言わせてもらうよ。本当にありがとう……!」
 座ったまま、府知事はマノに深々と頭を下げた。ボリュームを失わない白髪頭が、そのまま暫く低い位置で留まっている。
「ブラウン……いいんだ。僕には僕に出来る事をするしかない。それに、あの日は実際、危なかった。ここにいる舎利寺や、ミロクちゃんが居てくれなかったら……どうなってたかわからない」
「そうか、そうだったな。舎利寺くん、それにミロクちゃんと言ったね。ありがとう」
 彼らにも丁寧に頭を下げ、ブラウンは漸く顔を上げた。
「これで少し、私も気が晴れたよ……」
「そのために、わざわざ!?」
「いかんかね? 何しろ租界(ここ)は、私のお膝元だからね」
 ブラウンは椅子からスッと立ち上がると、カウンターに向かって行った。
「あぶくちゃん、焼き菓子の詰め合わせを一つもらえないか。それと、持ち帰りでコーヒーも頼む」
「はーい、ちょっとお待ちを」

 あぶくちゃんが手際よくコーヒーを淹れて、そのいい香りが漂ってきている。
「なあ、アンタのこのお膝元が租界なことと、O.C.Pの谷町スリーナインって奴とのことは、いつ教えてくれるんだい?」
「そうだな、それも話さなくちゃならない……ありがとう。いい香りだ」
「友達に隠し事するなんて良くないぜ?」
「だが約束は守る。いずれ話すよ……きちんとな」
 バタン、チリン。ドアが閉まって府知事は去った。
「美人とオーサカには謎が多いねえ」
 マノが再びシーシャを深く吸い込んで、白くてサラサラした煙を吹き出した。

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