干潟のあぶく
このババアの後始末もあるだろう、面倒くさいだろうなあ。
折角の指定席だけど、どっか自由席の空いてるところを探して座ろうか。
周囲の視線や雰囲気も、なんだかざわざわしていて居心地が悪い。みんなもババアの死体が天井からぶら下がってるのを見ながら旅をするのはイヤなのだろう。しかもクソションベンの悪臭つきだ。
「お客様……」
車両を移動しようとした僕を背後から呼び止める、落ち着いた、抑え目で優しいトーンの低い声。振り向くとさっきのお姉さんが戻ってきて、その隣には上から下までビシっとした白い鉄道運転士の制服に身を包み、制帽を粋に被った紳士が立っていた。
「春川クン、この方だね」
「え、ええ」
「先ほどは、当社の販売員がご迷惑をお掛けいたしまして」
「ああ、いやいや。迷惑なのは、この人だけですよ」
天井からサンドバッグみたいにぶら下がったまま揺れているババアを小突いてみる。もう手触りが冷たく、硬くなってきている。
「死んだかな?」
「あ、お客様。そちらの始末は当方で致しますので。あの、ご迷惑をお掛けしたお詫びに、コチラへ……」
白い鉄道紳士に促されて後について行くと、16両編成で運行しているブルースポメニック号の9号車に案内された。ここは特別室と呼ばれるコンパートメントが並ぶグリーン車で、ブラウンの分厚いドアの列が威圧感をたっぷり放っているようだ。
その中の一つ、7号室の前で紳士が立ち止まるとドアノブ横の端末にカードキーをしゅっと通して、開いたドアの奥に手を差し出して
「どうぞ、こちらでお休みくださいませ。ささやかで御座いますが、ご迷惑をおかけしたお詫びに……」
と、にこやかに述べた。どうもそういうマニュアルでもあるらしいが、こりゃ得したな。クソババアを仕留めた上に個室まで用意してもらえるとは。鉄道警察でも始めるか。
「これはどうも、ではお言葉に甘えて……」
「お飲み物やお食事も用意して御座います、自由にお楽しみください。また何かお求めの際はお電話が御座いますので、お申し付けください」
一礼する紳士に手を振って別れ、靴を脱いで一歩、室内に足を踏み入れると、そこからは段違いの柔らかく毛足の長い絨毯が敷き詰められている。
窓際に一人用のソファが向かい合わせに置いてある。中央のテーブルには売り出し中のマッドナゴヤスイーツ「バイオういろ」「Dream大あんまき・虹」が並べてあった。
備え付けの小さな冷蔵庫を開けてみると、中には酒やジュース、ミネラルウォーターと一緒にこれまたマッドナゴヤ名物の「ミトコンドリア天むす」や「サイバーきしめん」などがある。麺類は室内にある電子レンジで温めて食べることも出来るようだ。
スパイスの効いた熱い即席チャイを入れて、Dream大あんまき・虹のパッケージを開けてみる。虹色の小倉あんをふんわりと包む甘さ控えめの生地。和風のロールケーキといった風情の、知立名物大あんまきをナゴヤ人が例によって独善的ガラパゴス化させたもので、味は至ってフツーに美味しいあんまきだ。
ナゴヤのあんこ好きは異常なほどで、こうしたお菓子のほかにトーストやサンドイッチにも使うし、スパゲティに乗せる店もあるという。どこまでもあんこを切らさない愛着振りは小豆相場を動かすほどだとか。
紅茶の本場インドでも輸出用ではなく、国内で出回るタイプのもののなかでも等級の低い茶葉の、さらに梱包からあふれたものを寄せ集めて詰め合わせた雑葉と呼ばれる、言ってしまえば最下級の葉っぱがある。等級が低すぎてかえって国外に出ることは稀で、しかも取り寄せると元の値段の何千倍にも跳ね上がるという厄介なシロモノだが、チャイを入れるにはコレに限る。
元々がそういう葉っぱを煮て喫するようになったのが始まりで、キャッフェイやレストラン、ペットボトルや缶入りで売られるものが上等すぎるのだ。
整い過ぎたチャイはつまらない。淹れてみるまで味も香りもわからない、しかもスパイスをギンギンに効かせて嫌ってほど煮詰めたものがいちばんだ。
即席チャイの意外な風味に満足しつつ、車窓を眺めてDream大あんまき・虹を頬張る。チャイで流し込んで、またひと口。
いい時間だ。贅沢なひと時だ。オーサカまでは、もう少しかかる。ひと眠りしようか。
僕はソファに背中を深く預けて、そのままそっと目を閉じた。


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