冬の黄色い陽射しを浴びた君が振り返る。
丸い、フチの無い眼鏡のレンズが銀色に光る。僕より少し背が低くて、声が高くて、素肌の白い君が笑った。振り返る、微笑む、愛する君を、抱きしめる、ことは出来ないまま、さよならをする。
夕暮れ前。翳りゆく冬の思い出と踊ろうタンゴ。工場の隅で。僕と一緒に。
手を握って、見つめ合って、日暮れの早い冬の白昼夢はあっという間に黄昏時を迎える。
洗濯物の山に埋もれた食べかけの思い出と、ときめきのカケラ。
春を待たずに枯れてゆく、水の無い惑星に落ちた愛の種。
体中の毛穴から小さな昆虫の手足が生えて来る。抜いても抜いても、毛抜きの爪先でワニワニ動いている。白い粘液で満たされた関節包を指先で挟んで圧し潰す。
ピチッ、と湿っぽくて後ろめたい音がして昆虫の手足が動きを止める。だけどまた生えて抜いて潰して止めて。
誰だ!?
我思うゆえに誰が有るんだ。何処に居るんだお前は。ズキリ。痛む皮膚の毛穴からは黒く短い昆虫の手足。翅アリのモノに近い。翅思うゆえに我アリ。
カステラの取り合いで喧嘩になった兄弟の兄の方が誰かに操られていたという。眠るように仰臥した弟を抱きかかえた兄が本当は弟で替え玉すり替え殺人事件。死んだはずの兄を抱いた兄に成りすました弟がポツリ。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いてる俺はどっちだろう?」
兄思うゆえに兄アリ。
カステラはおひとつ98円のお買い得品。
今日もゲンキにタッタラッタッター。
繋いだ手指の冷たさに、ああ女の子なんだなと思う。
働き者の、その手は荒れてごわごわしていた。節くれだった関節と、ざらついた素肌。幼げながらも整った顔たちの君からは、少しギャップを感じるほどに荒れた手肌が慎ましやかな暮らしを思わせる。
真面目に生きてきた君だから、不真面目な僕の手を取ることは出来なかった。
不真面目なつもりのない僕だけど、君のなかに居場所は無かった。
晴れた空、低い雲、その向こうに沈む夕日、ピンク色の光さす海原、陰る山肌。
百点満点の夕暮れが冷たい風の中で暗く、確かに過ぎ去って行く。ピンクの光は赤らんで、星が浮かぶ夜空に黒い影になった雲が沈む。
時間が流れてゆく。冬が終わってゆく。一日、一日と季節がゆっくり移ろい続けている。
情緒不安定の虹が出る。涙を浮かべた瞳の中に。
読んだら捨ててね、と言われて渡された手紙を、今日まで捨てずに手元に忍ばせている。
君は僕の手紙を捨てただろうか。
小さな飴玉の包装紙に印刷されたフレーズを縦に裂いて、球根のような飴玉を取り出して飲み込めば心臓にあの日あの君の記憶の花が咲いて。
お誕生日おめでとう、も、出会ってくれてありがとう、も、どんな美しい言葉であっても。君に投げかけるべきフレーズを僕は一切合財、失ってしまった。僕の声は呪いであり、後悔であり、未練であり、醜悪になる。
それが例え誰も傷つける筈のない美辞麗句、優しい言葉、愛のささやきであったとしても……。
短い冬の黄色い昼の陽射しが、丘の上に吹き付ける潮風と語る白い十字架に語り掛ける。トンネルを抜ければ海が見渡せるから、海の見える丘で、君を待ってるから。
色とりどりの船が、積み荷を背負ってやって来る。そしてまた誰かを乗せて去ってゆく。それをずっと、一人で見ていた。冷たく乾いた土の中で、季節の匂いが溶け込んだ風と空のあいだで。
墓碑銘に君の名を刻んでも、灰と骨だけになった身体に心は宿せない。時も夢も恋も愛も何もかも、戻せない。鈍色の海原にぽつんと浮かぶ船が陽ざしに溶けて、鐘の音が見送りながら鳴り響く。それを冬の黄色い陽射しの中で、僕はひとりずっと見ていた。
読んだら捨ててね、と言われて渡された手紙を残して僕は旅立つ。
君は僕の手紙を捨てただろうか。


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