夕暮れ時。細くて埃っぽい、舗装もされていない緩やかな上り坂がだんだらと続く田舎道。冷たい風の吹く初冬の里山は遠くに見える山の向こうまで全部ミカン畑で、まあるい黄色や橙色の実を付けたミカンの木がズラーっと並んでいる。 その長閑な上り坂を、ゆっくり、ゆっっくり歩く老人がひとり。
深緑色と灰色と黄土色の混じった柄物の半纏にカーキ色の作業ズボン、粗末な下駄。
曲がりくねった生垣の向こうから点けっぱなしのラジオがお構いなしに鳴り続けている。うぉん! うぉん! と犬の吠える声や灯油の配達に来たローリー車が流す童謡や夕食の支度をする匂いが辺りをくるくる回りながら混じりあって、夕焼け雲の一つ一つに溶けて、やがて夕日と一緒に沈んでゆく。
何気ない一日が何気なく過ぎた、その安堵と溜め息を朝陽が焼いてまた新しい一日が始まる。
それまでのごくわずかな時間、光から逃れることの出来る少しの隙間を
老人は孤独のまま過ごしてきた。何日、何年、何十年と。
この集落には古くから伝わる伝統的な工芸品があった。だが、もう今は伝承者も残っておらず消えてゆくのを待つばかりとなっている。その
ねじれ箪笥
と呼ばれる特殊な箪笥の最後の職人が、この老人なのである。
台座から時計回りに、らせんを描いて伸びる五段の箪笥。ちょうど蔦が巻き付いて絡み合いながら伸びているのを引きはがしたような形になる。そこにカーブした台形の引き出しを入れて収納するのが、ねじれ箪笥という代物だ。
最盛期にはこの一帯の各所で製造され名産品として愛されたものだが、いつしかデパートや家具専門店などからも姿を消してしまい、近頃の新しいお店にはそもそも取り扱いがなくカタログにも乗っていないため、ねじれ箪笥の存在すら知らないという人も増えてきた。
最早おとぎ話に出てくる調度品のようになってしまったねじれ箪笥を日本で、いや世界でただ一人だけ作ることが出来るのは、この老人だけだ。だが、そんな最後の箪笥職人を、病魔が蝕んだ。
ガンでも、脳梗塞でも、心筋梗塞でも糖尿病でもない。
病魔の名は、孤独といった。
ねじれ箪笥の最大の売りは、見た目以上に突飛な特性だった。
この箪笥の最上部には短い棒の先に丸い輪っかを付けたものが四隅に一つずつ配置されており、そこに竹ひごで作ったねじり羽根と呼ばれるプロペラを取り付けることで空中に浮かべることが出来るというものだ。
大掃除でも、模様替えでも、引越しでも、朝でも夜でも真昼でも箪笥を動かすのは一苦労だが、これなら春でも秋でも真冬でも安心というわけだ。ところがこのねじり羽根を装着し箪笥を飛ばす技術が大変に難しく、結局はイチイチ職人を呼んで飛ばしてもらわなくてはならなかった点も災いして、ねじれ箪笥そのものが廃れていってしまったのだった。
老いた職人は生き甲斐を失い、また他に生活の糧もなく、ふらふらと生まれ育った集落で生き続けていた。失ったのは生き甲斐と食い扶持だけではなかった。ねじれ箪笥の最盛期には家族もいたし遅まきながらも結婚して子供も産まれたし、職人仲間や集落の人々にも囲まれて、忙しくも苦労した修行が報われた平和な日々を送っていた。
しかし世相の変化は確実に彼の生活をねじ曲げてゆく。
ねじれ箪笥の売れ行きは昭和五十六年の六月度を最後に下降線の一途を辿ることとなる。もともと沢山売ることは出来ないがひとつひとつは丁寧に作られるもので、故に高価であった。しかし世の中には安くてそこそこ頑丈なうえに使い勝手の良い様々な家具が溢れている時代。ねじれ箪笥の代理店は次々に減ってゆき、職人もひとり、またひとり居なくなった。
後編につづく。
デビュー作「タクシー運転手のヨシダさん」を含む短編集
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