瞼ひとつ閉じるだけで、目の前の見慣れた景色が消え去って無限の暗闇が広がることが、面白くて仕方ないけど恐ろしくて仕方ない。アタマの中には今日も鳴り響くDREAMTHEATERと延々続く海沿いの田舎道
寄せては返す蛍光グリーンにボンヤリ光る方眼紙の漣が暗黒の海でうねりを上げて、砕けて、うねって、また砕けて
稲穂の匂いが染み付いた田圃を渡る黄色い風。冷たく、少し湿った空気が心地よい。朝靄に溶ける遠くの街並みを橋の上から見渡して、山間を走るハイウェイの高架が今日は随分ハッキリと浮かぶシルエット。柔らかく昇り始めた陽射しの淡いオレンジ色に包まれて、街が人が道が空が目覚めてゆく。この世で最も退屈で憂鬱な、この世でもっともつまらない時間。渋滞、通勤、通学、右折、矢印信号が目の前で空しく消灯
赤と黄色と青緑の、躁鬱トマトの信号機が焦る自動車の群れを対向車線から追い抜こうとしてトラックにハネられた原付のバカを嘲笑う。そのトラックのハンドルを握りしめて半笑いで冷や汗をかく僕のこともついでのように嘲笑う
毎日が異常につまらない。今までにない速さで生きようと燃やす熱量を奪われ、何もかもメンドクサイ仕事と何もすることが無い家での時間だけが無表情のまま過ぎてゆく。踏切も交差点も看板も、何を見ても何も頭に入らない
ただ今日をやり過ごして、明日も明後日もやり過ごして、早くどうにかしないとなあ、とだけ空に向かって呟いて一日が終わる
お金も時間も無くなって、仕事と疲労だけがある。それって幸せか?
食えなかった時期を過ごした人が、誰かの大嫌いな食い物を前にして「食えるだけ幸せだ」というのは、片方の立場に立てば正論だが大嫌いなものを食わされる側に立てば暴論だ
だから短い休暇を取って、今日も小さな旅に出る。意味深なエコーと遠ざかりながら近づいて来る夜空、マットレスに沈み込むカラダが目を閉じれば無限の暗闇に浮かぶ笹船のように流れてゆく
夢を見る旅には虹の眼鏡をかけて
天気予報じゃ明日から雨。小さな心配事と些末な憂鬱を運ぶ低気圧を忘れたくて流れ出す短い旅。見違えるような強さも、類まれな美貌も、響き渡る美声も無い。翼も牙もツノも無い、早く走れも海の底に潜れもしない。ただ感じて考えて吐き出すことだけを覚えたのに、それも億劫になるだけの持ち腐れ
天気予報より早い雨。あらゆる後悔と杞憂が爆発する台風20号。振り切れずに沈む短い旅。忘れかけた夢も、悲しみの底で眠る真珠も、喜びも黄昏も怒りも無い。翼も牙もツノも無い、好きなだけ笑えも死ぬほど泣けもしない。ただ生きて呼吸をしているだけなのに、それも億劫になった自分にふさわしい命とは
万物流転。なのに一所懸命を最善であり大前提とされ、資格も経験も無ければ後は転がり落ちるだけ。覆水盆に返らず、溢れた水に浸かったら汚れて染みて黒ずんで、何もかも何もかも、洗っても洗っても落ちない幻影に囚われて今日も降ってもない雨に嘆くばかり
降りもしない、降ってもいない、降られて濡れたこともない憂鬱の雨ばかり嘆いて、本当の苦労も憂鬱も知らないで生きている。当たり前の失敗を、今更のように当たり前に繰り返す。
どこからでもやり直しは出来るだろう。お前はお前自身が創り出した一片の物語の主人公だから──
どこから引っ張って来たのか、もっともらしいフレーズだけを並べて、世界観とやらに浸って、自分も何かを求め導かれているような気分で明日も生きられるなら天気予報も求人情報も不要だろう。不要に感じられるだろう
雨だって止むし、空だって病む。心に差した傘が破れて硫酸の雫が指先を焦がして溶かす。短い旅の終わりを告げる遠近感の狂乱と浅く重苦しい呼吸、頭痛、眩暈、吐き気情熱ノイローゼ
お前はお前自身が創り出した一片の物語の主人公だから、もうどこからもやり直しなんて出来ないだろう。お前はお前が創り出した結末に向かって、死刑台の階段を上るように生きてゆくしかない。それを交差点に佇み嘲笑う
躁鬱トマトの信号機


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