干潟のあぶく
結局ダイゴローさんと話し込んで夜更けまで気分よく酒を飲み、ふらつく足で店を出た。コンクリート造りの地下通路に出ると流石にヒヤリとした空気が心地よいが、やはり湿っぽさが勝ってすぐに汗が垂れる。ヤニと香水とアルコールの匂いが混じり合い染みついた、BARプカプカの空調の匂いが早くも愛おしい。
折角だから、他のお店も覗いてみようか。
上機嫌でそう思って回廊を一回りしてみるが、開いているお店もあまりなく。階段を上がって二階へ。そこも殆どが空きになっているが、うどん屋さんだけが営業している。
他の飲み屋さんのドアではなく、そこだけ木造の引き戸になっていて暖簾がかかっている。年季が入り過ぎていて、なんて書いてあるのか全くもって読めないけれど。
三階へ上がると、ここも開いている店が一つだけ。真っ赤なドアに黒ペンキで書き殴られた店名が擦れて読めないが、問題なかろう。ガチャリとすり減って鈍い金色に光るドアノブを回し中を窺う。
薄暗い店はプカプカよりもテーブル席一つ分狭く、左手の壁に沿うように低いソファが置かれていた。ソファのひじ掛けからはみ出した黄色いワタから右へ視線をパンすると、カウンターに椅子が5つ。そのうち一番奥の一つは衣服らしきものがかけられていて、空いている席は4つだ。カウンターの奥にはロングヘアーを緑色にした、爬虫類のような顔のバーテンダーが立っていてコチラを向いた。
鋭い目つきと口元が冷血さを思わせるが、
「いらっしゃい、どうぞ」
意外と愛想は良いようであった。
「お兄さん、よく来ましたねえ」
「いやあ、下のプカプカさんで飲んでたんだけどね。他も回ってみようと思って」
「それじゃ、このビルは初めてですか。それで此処まで来てくれたんだあ。うれしいなあ」
爬虫類バーテンは人懐っこい男のようで、小さな使い捨てのオシボリと豆類の入った小鉢を出しつつ
「何にします?」
と聞いた。僕は少し酔っていたが、この男が何となく気に入っていたので
「お兄さんのオススメでいいよ。お兄さんもイッパイ飲んでよ」
あいさつ代わりにカウンターの正面に腰かけて注文をした。
「なんでもいいなら、何にしようかな」
顔に似合わず上機嫌で冷蔵庫やボトルの並ぶ棚を眺めながら、パタパタと爪先を鳴らしてバーテンが酒を用意しているのを、僕もなんだか楽しく見つめていた。すると、そのとき
ガチャ!
背後からドアの開く音がした。店の入り口ではない、奥からだ。
反射的に椅子から跳ねるように立ち上がり振り向いて身構えると
「イヤーーーーもぉーー!」
そこには腰まである長い髪の毛をどぎつい真っピンクに染め上げ、顔や露出の多い衣服から見える臍に無数のピアス、そして全身をタトゥーで覆った若い女の子がビックリして両手をパタパタさせているところだった。トイレで手を洗ったらしく、水しぶきが飛んできた。見た目に寄らず清潔な人らしい。
「あ、ごめんなー。水かかってんなあ、いまおしっこしたから、アタシ。アハハハ!」
2秒前まで半泣きで手をパタパタしてたのが、もうケラケラ笑っている。ほとんど太ももから下が見えている白いホットパンツと、胸元に赤いロゴの入ったスポーツブラみたいなグレーのタンクトップ。これだけなら至極地味で部屋着にも見えかねないのだが、いかんせん着ている本人が派手過ぎるので、このぐらいがちょうどいい。
「おお、やっと出たか。長いションベンやったな」
「もぉホンマ計らんといてーおしっこの時間とか」
「お客さんの前で初対面の一言目がおしっこやねんから酷いバイトやでホンマ」
「あ、ココの女の子なんだ」
「そぉー、でも今日は飲みに来てただけー」
「ヒマやったら働け、言うたったけど今日は店もヒマでね」
ハッハッハ、と気分よく笑う二人を見ていると、こっちも楽しくなってくる。良い夜だ。
「じゃあ、えーと、お姉さん?」
「はーい」
「お姉さんにも、何か飲んでもらおうよ。ねえ、お任せでいいので」
「ありがとお、ほな私アイスティー割り!」
「そんなんあるの?」
「えーめっちゃ好きよ? アタシ」
「じゃあ僕もアイスティー割りで」
「いえーいお揃いー!」
「おそろーい!」
「なんや仲ええな、ほなボクもアイスティー割りにしよ」
「えー真似せんといて!」
「なんでボクはアカンのよ!」
ワーワー言っているうちにアイスティー割りが三つ出て来て、みんなで乾杯した。
「あ、ホントだ。コレは飲みやすいね」
「やろー、アタシいつもコレやねん」
結局ここでもアイスティー割りを数杯飲み、派手な店主と派手な女の子の夫婦漫才さながらのやり取りをサカナに心地よく酔った。
カウンターの椅子からソファに移動して、深く沈み込みながら気分だけを浮遊させているとピンクの彼女が何の前触れもなく振り向いて僕に尋ねた。
「お兄さん、このあとどうするん?」
「兄さんを探すんだ。ニッポンバシオタロードに行こうと思って」
「そうなん!? え、生き別れとか?」
「まあそんなとこだね」
「アタシん家、オタロ近いで? 泊ってく?」
「えーいいの? じゃあ行っちゃおうかな」
爬虫類のようなバーテンは気配を消して、聞かぬふりをしてくれているようだ。
「お言葉に甘えて、お邪魔しまーす」
「いえーい、じゃオウドンしてから行こ!」
「ご馳走様、じゃあチェックで」
「はい、いやー楽しかったですよ。また来て」
「ええ、是非。僕もいい夜でした」


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