第20回 「Autobahn」

 街角の楽器屋の二階の貸しスタジオ。タバコを吸うのはドラマーのソダ君だけ。その彼のタバコが少し離れたソファとテーブルからこっちまでふわりと漂ってくる。僕はマイクスタンドに据え付けたドリンクホルダーからドラッグストアで一本八十八円の炭酸飲料をすっと引いてキャップをひねる。
 パッシ!
 と小気味良く乾いた音がしてフタが開いて、茶色い液体がしゅわしゅわと踊る容器を口元で傾けた。ギターのフジシロさんが持ち込んだオレンジのアンプとその手前のギタースタンドにはモズライトのストラトキャスター、もう一人のギターで私の幼馴染でもあるミツルが持ち込んだメサブギーのアンプとヘッド、それとポール・リード・スミスのギター。軽くて紙袋を持ち上げるような感覚だが音はヘビーで迫力がある。軽量級で空手の県チャンピオン二連覇を果たしたこともあるミツルらしい楽器。
 ボーカルのマキノさんが階下の自販機でコーヒーを買って戻ってきた。僕はケースからミュージックマン・スターリンを取り出してスタジオに設置されているトレイス・エリオットに繋いだ。

 シールドケーブルは楽器屋さんで六千円以上したモンスターケーブルというやつで、これにするとズブの素人どころか音楽に関する素養なんか持ち合わせてもいないような僕でもハッキリわかるぐらい音質が太く豊かになった。

 ミュージックマン・スターリンは単純に好きだったベーシストが使ってたから、というのと、おばあちゃんが大病をしてしまったので今のうちに、とまとまったお金を残してくれたから買った。

 そのすぐ後に入院してしまったので、一度はもらったお金を入院費にとおじいちゃんに返してしまった。でも、どうしても欲しかったのでベースだけ買わせてもらった。後の差額は全部返して使ってもらった。そんないわくつきのベースギター。
「何からやろうか」
 とマイクスタンドの前でマキノさん。
「カズヤは、何がいい?」
 とソファのソダ君が僕に尋ねる。
「チューニングそのままだし、ちょっと練習したいんだよね」
「あーあれか」
「オレそんな難しかった? あの曲。てか家でも練習してくれてたんだ」
「難しいよー、難しいねえー」
 僕はおどけて答えた。
 ソファと中央のマイクと、正面向かって左手のベースアンプの前で奇妙な三角形を描いたまま会話が進む。

 ソダ君が最後のひと息を吸い込んでタバコを消して立ち上がった。

 ドラムのほかに総合格闘技も長年やっているというので背筋のシルエットがしっかりしている。足腰も丈夫そうだ。

「じゃあ二人戻ってくるまでちょっとやってみようか」
 ドラムセットの丸い椅子に腰かけながらソダ君が僕を見上げて、同時に椅子の位置を直してペダルを軽くドンドンと踏み、シンバルも軽くシャンシャン叩いた。

「うん、じゃあちょっとやってみるよ」
 僕は少し億劫で不安なまま口を開いたので、最後の方はソダ君の言ったことをオウム返しにしただけだったな、と少し心の奥の方でじくっと気にしながら楽器を構えた。
「それ曲名なんにしたんだっけ」
 マキノさんが尋ねた。
「Autobahn、かな」
 作曲者のソダ君が答えた。

 僕はそのイントロに取り掛かるべく少し呼吸を整えた。

 タバコと空調のにおいが混じりあったいつものAスタジオのにおいが鼻から胸元にすとん、と落ちていった。
 キュッ
 と指先で弦をこする音がアンプリファイアから不意に漏れた。息を殺していたことに耐えきれなかった忍者か何かみたいに。
 四本の弦を素早く行ったり来たりする指先。自分の指じゃないみたいに動き回る。大きな蜘蛛か何かみたいに。
 ソダ君のドラムがそこに重なってきて、バタバタブンブンという音と音のぶつかり合いがそのまま音楽という状態のものになったような。そんな曲だった。
「疾走感を持たせたいんだよね、ほらドイツのAutobahnでデカいトラックとかスポーツカーがすげえ勢いで走ってく感じの」
 そう言って僕を真っすぐみるソダ君の顔が脳裏にチラついたときに、指先が引っかかってAutobahnで盛大な玉突き事故が起きた。

 黄色い小さなクーペが最初にタイヤをスピンさせて、あとからトラックやらスポーツカーやら大型バスがどんどんそこにぶつかってくちゃくちゃになってメラメラ燃えた。
「ああーごめん」
「ははははは、カズヤいつもそこで詰まっちゃうよね」
「勘弁してよ作曲者!」
「いやいや頑張ってよ」
 頭の中の事故現場では道路が封鎖され、
 焦げてひしゃげたボディの骨組みと燃え残ったシートやドア枠に

 いつの間にか伸びた蔦が絡んで、
 地面に散らばる砕けたミラーに雨上がりの日が差して乱反射
 プリズムの向こうに立つ足が僕だ
 ネックをキュっと鳴らして、
 草いきれのAutobahnを踏みしめて

 日差しと霧雨をゆっくり浴びて天を仰ぐ

 フレットにはじけた雨粒ひとつひとつに
 世界が逆さまなって流れてく
 事故現場、燃える車、高速道路、絡まる蔦
 全部逆さまだ
 最初のひとつ目の弦を中指で弾く
 矢継ぎ早の運指にのってレコードが回りだす
 レコード盤は縦横無尽のAutobahn
 レコード盤の縦横無尽がAutobahn
 レコード盤と重低音域のAutobahn
 レコード盤が回り始める、同じところで針が飛ぶ
 レコード盤の上で走り続ける、僕と事故車とAutobahn

「カズヤ、今のいいじゃん!」
 ソダ君がドラムセットに腰かけてニコニコしている。

「それだよ、その感じ。もう一回やってみよう」
 四車線のAutobahnを縦横無尽に走り回る僕の指。
 三たび同じ曲を弾く。
 二度も同じ道で事故は起こさない
 一度見た景色は忘れない、あの事故現場で見上げた空へ
 Autobahnをかっ飛ばしてゆくんだ。

第36回「ミカンと箪笥」(後)

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第35回「ミカンと箪笥」(前)

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第28回「ピコピコの国へ」

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第20回 「Autobahn」

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