#不思議系小説 第114回「粘膜サンシャイン19.」

干潟のあぶく

 ゆっくりと美味しいかすうどんを平らげるのを待って、会計を済ませて店を出た。
 さっきのお酒のお礼に、と僕の分まで彼女が払ってくれた。
 二人して夏の真夜中、むせかえるような湿度のなかを並んで歩く。遅くまで営業している店、人、タクシーにトラックに自転車までしっちゃかめっちゃかになって狭い路地と交差点で入り乱れている。

「このままミッテラスジをまーっすぐ行ったら、もうサカイスジやから。オタロは、もうちょい南の方やけど」
「そうなんだ。近いんだね」
「お兄さんのおにーさんも、せやからココ住んでたんちゃう? ……お兄さんのおにーさん、やて。ヘンやな! アハハ」
「ホントだね。僕はマノって言うんだよ。兄さんの名前はウノだよ」
「あーー! うそお。そや似てると思っててん。ウノさんめっちゃいい人やったわ。お酒おごってくれるし」
 まったくあの人ったらしめ、抜け目がないなあ。
「兄さんは美人が好きだから」
「えー、そんな私ブスやし」
「そんなことはないよ。ちょっと派手だけど素敵だよ」
「マノさんもたいがい人たらしやなー」
「そんなことはないよ。兄さんとは違うさ」
「ウノさんとおんなじこと、言うてんねんいまー」
 まったくあの人ったらしめ、よく似ているなあ。

 雑居ビルと高層ホテルの間のアルコールと生ごみとドブの乾いた臭いの染みついた湿っぽい地面を生ぬるい風が吹き抜けてゆく。時々ざっと降る驟雨で濡れたアスファルトが乾ききる前にまた濡れて、その湿った地面にネオンやヘッドライトが反射して光る水溜まりの上を、ピンクの髪の毛をなびかせて、跳ねるように彼女は歩いてゆく。
 時々その髪の毛の向こうに、グレーのタンクトップの腋の下が汗を吸って黒く変わっているのが見える。匂いたつ彼女の蒸れた腋と素肌を想像して、呼吸が少し乱れて視界が揺れる。

 ミッテラスジは酔客と客引き、呼び込み、立ちんぼ、逃げる奴と追い掛ける奴。と、色んな酔っ払いが狭い路地でひしめき合う、とても居心地のいい場所だった。
 誰かの甘いタバコの煙と、店先で拵える焼き鳥のケムリが混じって、嬌声やグラスの割れる音、誰かの怒鳴り声が重なって聞こえる。多重録音、多重再生、多重人格の眠らない町。右も左も酔っ払い。夜空まで届きそうな喧騒と灯りが消えることなく延々と繰り返される。

 この殆ど壊れかけの世界のいったい何処に、これだけの人間が隠れていたというのだろう。そのぐらい、オーサカの街は賑やかだった。愛知県の海が見える田舎町とは雲泥の差で、良し悪しじゃなくこの超現実的な非日常を行ったり来たりする感覚が、じっさい僕は好きだった。
 良くも悪くも長閑なド田舎も、良くも悪くも賑やかな繫華街も、結局そこにいる人間の営みは同じだし、どんな仕事もお店も人間がやっているのだから。

「マノさあん」
「はあい?」
「三点倒立すんねん今から、見ててな!」
「は!?」
「どこも行ったら嫌やよ? 見ててな!」
 完全に目が座っている。顔は笑っているが目はどこも見てはいない。言ってる間に、既にうっすらと濡れた地面に手をつき頭もつけて、躊躇うことなく地面を蹴って、彼女は見事な三点倒立を見せてくれた。
 スイーっと彫刻のように伸びた両足が瑞々しく、実に蠱惑的だった。太ももの付け根に大きなタトゥーの片鱗が見える。大きく広がった裾から覗く紫の下着が、ツルツルとした光沢を放つ。

「どぉー!?」
「うん、見事だ!」
「せやろ、もっと極めたいねん倒立」
「どっかもっと変わった場所でやるとか?」
「んーーそれもやけど、もっと綺麗に立ちたい!」
 色んな事に情熱を燃やす人が居るもんだ。
「こんだけ喋りながらずっと真っすぐ立ってるんだから、全然じゅうぶんだよ」
「え、まじー?」
 逆さまのまま、心の底から嬉しそうに笑う彼女の姿が、湿った地面の水溜まりにうつって揺れた。

 やがて地面に足を降ろした彼女と再び並んで歩き始めてすぐに、彼女の住む古いマンションに着いた。青白く光るタイルが目印の、二十世紀終盤あたりに建てられたらしき外観をした細長い物件だ。
「ココー、ほなコッチ」
 夜空に向かって伸びた細長いマンションを見上げていた視線を、声のする方に戻した。すると、そこには
「マノさーん、早よぉ」
 さっきまでの全身ピアスとタトゥーで埋め尽くされてピンク色のロングヘアーをなびかせた細身の女の子が忽然と姿を消し、それとは真逆の地味な女の子が、さも先ほどから僕と一緒に歩いて来たかのように親し気な笑みを浮かべて手招きをしていた。

 色白でたるんだカラダをヨレヨレのTシャツと、それをしっかりとインしたパツパツの七分丈ジーパンで包んで、肩から下げた白いカバンが柔らかすぎて少し垂れ気味の、とろけた乳房のあいだに食い込んでいる。
 黒くもっさりした長髪を雑に括って、レンズの汚れた黒縁メガネの奥で伏し目がちな瞳が光を失ったまま燃えるような色をして欲情しているのがハッキリわかった。

 彼女が自分の変身に気付いていないのか、僕が彼女の本当の姿に気付いていなかったのか……どちらでもいい。こっちのだらしない地味っ娘な彼女も可愛いし。腋毛生えてそうだし。
「ああ、ごめんごめん」
 僕は軽快に低い階段をタタンと登って、彼女と腕を組み、その場で素早く顔を引き寄せ、唇を重ね合い深くしつこいキスをした。

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ダイナマイト・キッド
ダイナマイト・キッドです 写真は友人のクマさんと相撲を取る私 プロレス、格闘技、漫画、映画、ラジオ、特撮が好き 深夜の馬鹿力にも投稿中。たまーに読んでもらえてます   本名の佐野和哉名義でのデビュー作 「タクシー運転手のヨシダさん」 を含む宝島社文庫『廃墟の怖い話』 発売中です 普段はアルファポリス          https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/376432056 小説家になろう                   https://mypage.syosetu.com/912998/ などに投稿中 プロレス団体「大衆プロレス松山座」座長、松山勘十郎さんの 松山一族物語 も連載中です そのほかエッセイや小説、作詞のお仕事もお待ちしております kazuya18@hotmail.co.jp までお気軽にお問い合わせ下さいませ

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