2.
僕は彼女に曖昧で投げやりな微笑みを返した。すると、どうもそれがかえってお気に召したようだ。ところ変わればなんとやら、ついでなので適当に名前を聞いて見ると
「Meow(みあお)」
と言った。ネコって意味だ。あなたは? などとぬかすので
「じょんどう」
とだけ答えた。あながち間違っちゃいない。どうせ僕の行く末だ。
興が乗って来たのか、Meowは僕に色々と質問をして来た。僕はそれにボソボソと答えた。お互い様のブッ壊れイングリッシュと身振り手振りだが、案外と通じるものだ。駅前の雑居ビルでわざわざ習う必要があるのは、もっと意識と給料と社会的地位が全部ちゃんと高い連中だけなのだろう。
何処から来たのか。
ジャパン。
何処へ行くのか。
川へ。
何をするのか。
スーサイヅ。
スーサーイ?
Meowは僕のジョークが気に入った、とでも言いたげに笑って言葉を返した。
「#Metoo(私も)」
どうして?
恋人に捨てられた。
どうやって?
拳銃を買うの。
ハウマッチ?
あなたの分の銃弾(たま)も一緒に買ってあげる、一緒に行きましょ。
プリーズ、サンキュー。
旅は道連れ世は情け、とは言ったものだ。あっという間に話がまとまった。
Meowは走行中のバス車内で立ち上がり、僕の隣にドサっと座った。薄いビニールが敷かれただけの硬く不快で粗末な椅子だが、彼女の瑞々しい肉体の柔らかさが明け透けに際立って、そこにより強烈に香るMeowの腋臭が濃密に絡みついて、気が付くと僕は彼女に口づけていた。Meowも嫌がる素振りは無く、むしろ積極的に舌を突き出し僕の唾液を貪った。香辛料と歯垢とタバコの混じった不思議な口臭が癖になりそうだ。
僕はMeowを少し乱暴に抱き寄せて、強めに抱きしめたままずっと体と唇を絡ませながらバスに揺られ続けた。時々ハグをして、背中から腰、お尻の辺りまで弄って。Meowも僕の胸板に指を這わせて、首筋に少し噛みついて、唾液が乾いて臭かった。
やがて汗の冷えた素肌に彼女の体温が心地よく、バスの揺れと生ぬるい風に身を任せて眠ってしまっていたようで、ふと目を覚ますとバスの中には僕ひとり。Meowも、他の乗客も消え失せて、バスは舗装された真夜中のリバーサイドをしずしずと律儀な芋虫の様に走り続けていた。
窓の外には真っ暗な川が流れていて、時々思い出したように街灯が立っていて水面に白い光を投げかけている。歩いている人も、他に走ってるクルマも無い。ただ川沿いの一本道を走り続けている。霧が出て来た。建物もあるにはあるが明かりが消えてて壁のようだ。
ゴォーーッ、とエンジンだけが唸り、タイヤが時々キュルキュル鳴いて、ゆるいカーブをやり過ごす。信号機も踏切も無い。対向車も後続車も無い。空き家の街に寂しさだけが移り住んで来たような、暗闇の世界。
死んじまうつもりで何もかも捨てて来たのに、行きずりの女の子に捨てられたら途端に生きてることが当たり前に思えて来た。寂しくてたまらない。僕は思わず運転席までヨロヨロと歩いて行って、帽子を目深にかぶった運転手に行き先を訪ねた。
「もしもし。このバスは、何処へ向かっているんです……?」
「旦那を、死の国までお連れするんでさぁ……!」
振り向きざまにニカっと笑った運転手の顔には目玉も鼻も唇も無く、ただ真っ白なガイコツが制服を着て手袋をして、アクセルを踏みハンドルを握っていた。
ふと通り過ぎた街灯の足元にしゃがみ込んで泣いている子供が一瞬、目についた。
「あの子は……!」
僕はガイコツの言葉を遮って思わず呟いた。
「あれが、旦那の子供の頃の姿でさぁねえ」
「僕の……!?」
「へぃ。旦那ぁ、随分とコッ酷(ぴど)く殴られてやしたでしょう。その旦那ですよォ」
「あの時の僕か。運転手さん、あの子もこのバスに乗せてやってくれないかな」
「……」
ガイコツのくせに前を向き直り、ヤレヤレと言いたげな長い溜息をついた運転手は黙ったまま長いギアレバーをゴクッ、ゴクゴクッと動かしてバスの速度を緩めた。パシッ、とエアレーションの音がして、ゆっくり停まる。律儀にもハザードランプを灯らせたガイコツが言う。
「旦那ァ、お優しいんですねぃ」


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