画面には白く踊るような文字で
O.C.P魂の告白、市民生活へ真っすぐ激論!
と勇ましい文字が描かれ、道頓堀橋の南側で演説する姿を捉えていた。勿論、周囲を取り囲む観衆や放送に携わる関係者、技術者、番組に感想を送ってよこす視聴者に至るまで全てがオーサカ一心会の息のかかった連中だ。
番組放送中は勿論、録画されたディスクが配布されたり、昼間の退屈な時間に再放送されたりしたときにも、そこかしこで市長への絶賛、絶賛、また絶賛。
絶賛の雨嵐、絶賛を積み重ねて作った絶賛幕府の絶賛征夷大将軍。
絶賛の地走り、絶賛の稲妻、絶賛の大波小波、絶賛の大銀河宇宙電氣菩薩峠。
「サンガネも意外とデンパだな」
「そうかい? 君には負けるよ」
しまいには、これらの番組を見た感想文や、それについてのスピーチまで用意しなくちゃならないんだ。オーサカ一心会たって末端や出世を望む者にはラクじゃない。でも、それを勝手にやる分には構わないんだ。勝手にやる分には。ね。
あのO.C.Pとやらもオーサカ一心会、ひいてはその上にいるパーソナルセンターの幹部に気に入られようと必死なんだ。アイツはアイツで哀れなものさ。
画面の中のO.C.P様は耐えず怒鳴り続けている。真っ赤な顔、血走った目、ツバどころか前歯やアゴまですっ飛んでいきそうな勢いで。
「皆様のォ、日夜絶え間なく続けておられますゥ、連綿たるゥ、労働のォ、ウォ蔭様を持ちましてェ……労働こそ、オーサカ復興のォ、発展する明日へのォ、近道でありィ……休養、休息は贅沢でコレあるとォ、ワタクシはオーサカ・シチー・プレヂデントのォ、重責をォ、担うにあたってェ、日夜の努力をォ……」
自分も休まず努力しているのだからお前らも休むな、などと言う奴がヒトの上に立つにあたって適しているわけがないのだが、もうこれに賛意以外のアクションを起こすことは許されない。いや、自由は保障されており自由な思考は可能なのだが、しかし許されないことを敢えて思考することは誰もしない。許されているがゆえに、許されないこともまた許容するべきなのだ。これが、オーサカ一心会の言い草だ。
「思考が二重三重に積み上がって、考えることはおろか、何か思うことすらやめさせようって魂胆みてえだな」
「そうだね。アレをするにはコレ、コレと思うならソレ、と言っているうちに、思考を停止してしまうか、あいつらと同化しちゃうほうがラクなんだって気付くか諦めるか……それまでしつこく、膨大な情報と思考を押し付けて人間の心や魂を潰し、根付いた文化をも潰えさせるつもりなのさ。自分たちこそが唯一たる文化だと言ってね」
「それにしても……妙だな」
「どうしたんだい?」
「あんだけデカイのを街中でぶっ壊したのに、ちっともニュースにならない」
「そりゃあね。一心会が自分たちの失敗をわざわざ喧伝すると思う?」
「そういうことか」
「あれでもし君が負けてたら、今頃こんな演説なんか流さないで鬼の首を取ったような騒ぎをしてるに決まってるさ」
勇ましい文言の一言一句を拾い上げて流し込む字幕や激情的なカメラワーク、さらに感涙し熱狂する民衆まで仕込んでいるが、結局はこれといったニュースや自分たちの推奨するコンテンツが無いときに垂れ流すためのものでしかないのだ。空虚で、寒々しい。それがボクの、O.C.Pへの率直な印象だった。
画面はスタジオに切り替わり、中央に立つメインキャスターの男女と、その両側にズラリと並んだ有象無象が様々な表情を好意的に紅潮させ、今の演説を讃え始めた。
有象無象と言っても雛壇になった座席の下の方には、名の売れたコメディアンや一心会御用達の映画監督、際どい水着のアイドル、艶やかなメイクとドレスの女優などが並んでいる。
彼らには演目や観客は居ても、文化は存在しない。彼らの前に居る観客は一心会の客であって、彼らの演じるもの、作り出すものは全てイチから一心会が作ったものを組み立てるだけ。
彼らに文化は存在しない。してはいけないのだ。独立オーサカ一心会以外の文化などというものは。
紙切れ一枚たりとも。一行の詩ですらも。
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