どうも。冗談で言ってるつもりがリアルにサイボーグなことに最近気づいたアラサー女子CCDことしーちゃんです。
この記事もシリーズ3回までは補助人工心臓装着者の日常的なものをお送りしましたが、4回目の今日はメンタル的なことを書いてみます。
まず、先に伝えておきます。
私は基本的に何かを発信する時に
前向きなことばかりを言う傾向があります。
というのも、これまでの闘病生活中、何度も経験した恐ろしい記憶を、わりとガッチリ目に封印しているからです。トラウマなのです。
だからこそ、それを覆い隠すように楽しかったことや幸せだと感じたことばかりを発信しているのですが、それを見た人の中には
『いい子ちゃんすんなよ』
『もっと本音を言えよ』
と思う人がいることも承知しております。
それに対して私は、
『なんで自分のトラウマさらけ出さなきゃいけねんだよ』
という反発を覚えてしまうのですなぁ。
なぜか。
自覚したくないから。
認めたくないから。
あの手が震える程の恐怖を思い出したくないから。
これが私の弱さであり、強さでもあります。
私は自分で自分のことを、
心臓は悪いけどその分メンタルは超健康優良児
だと思っているのですが、メンタルはこれまで幾度となく折れてきました。でもその度に家族や先生、看護師さん、友人たちに救われてきたのです。
心臓移植の話が最初に出た時も、
『そこまでしないと生きれないのか』
『そこまでして生きて私は何が出来るのか』
という問いが頭の中でぐわんぐわんしました。
5~6年の待機期間中(今後もっと伸びると言われています)、補助人工心臓を埋め込み、腹部からケーブルが出た状態で電池交換をし続けながら生活しなくてはならない、という話をされた帰りの車の中で、言葉も出ずにはらはらはらはら涙ばかり出てきたのを鮮明に覚えています。
『そこまでして……?』という問いは喉元まで出ていましたが私が悩んだのはその1晩でした。
その夜私が眠りにつく前ベッドで考えていたのは、
『私がここで「やりたくないです」って言ったらそういう状態で生活しないで済むのかなぁ』
『でも、じゃあそれをしなかったらいつまで生きられるの?』
『私まだやりたいことあるな』
ここで一旦思考停止した後、
『今私は〇歳で、10年後は〇歳……』
『それからでもまだなんでも出来るじゃん』
というものでした。
私はそれを
『10年計画』
と名付け、今のこの時間をその先に繋げるための通過点だと思おうと決めました。
そもそも、その選択肢を掴み取る事が出来るのは家族のサポート体制が得られるからこそであり、
誰しもが待機者リストに名前を連ねることが出来る訳ではないのです。
例えば、薬物中毒の前科があったり、自殺願望等の精神疾患があったり、心臓以外の病気(悪性腫瘍など)が見つかった場合は、臓器移植登録の会議を通過することが出来ないのだそうです。
だからこそ、
『この先にまだ道があるなら、その道を進みたい』
『その選択肢があるなら、生きたい』
と、あの夜の私は強烈に思って、翌朝家族にもそのことを伝えました。
そして補助人工心臓埋め込み手術から3年程経過した今、私は外見からは分からない障がいを抱える人が身に付けている
『ヘルプマーク』
と、世界的な移植医療のシンボルマークである
『グリーンリボン』
の普及啓発活動的なことをライフワークとするようになりました。
趣味で音楽を作っていたので(それも長期入院中に始めたDTMでした)、それに歌詞を乗せて歌うなんてことも最近はやっています。
ヘルプマークは、つけている人を見かけたらあれをして欲しいこれをして欲しいという訳ではなく、『配慮が必要な人なんだな』と気づいてもらえるだけで全然違ってくることがあると思うんだよね、という話をしています。
グリーンリボンに関しては、私自身が移植待機者だから『臓器提供して欲しい』と言いたい訳では全くありません。
万が一、自分が脳死と判定された場合、ドナーとして臓器提供をするかしないか……その判断を下す自身のご家族の為に、ほんのちょっと、一度でいいから話し合ってみて欲しいと伝えています。
心臓は特に、脳死された方からしか臓器提供を受けることが出来ません。脳死とはどういう状態か分かりますか?心臓はまだ動いているのに、脳幹の機能がもう回復しないと判断が下され、直に自発呼吸も心機能も停止すると宣告されるのです。
「この子はどうして欲しかったろう?」
という問いは、決断を迫られた時にはもう本人の口から聞くことが出来ないのです。
「あの時ああ言ってたな」
「こうして欲しいって言ってたな」
それが分かっていたとしても、決断するのはとてつもなく辛いことです。
つい最近新聞で見たのですが、幼いお子さんがドナーになったあるご家族の方は「臓器提供の決断が正しかったかどうか、これから先、一生答えが出ることはないと思う」とコメントしていました。
私はいつか、そういうやり取りを経た上でご家族全員が承諾しドナーとなった方から生きるチャンスをいただくのです。私自身がそこまでたどり着けるかも100%定かではありませんが、そうなった時、私はドナーになって下さった方の魂を守る人になりたいと思っています。
移植手術がゴールではないのです。
移植後の拒絶反応を抑える為、様々な副作用が予想される「免疫抑制剤」という薬を一生飲み続ける必要もあります。でも、そういった医学的な闘いだけでなく、私は自分とドナーになってくれた方、そして、そのご家族の想いを抱え、守り、その先へ繋げるために闘うのです。
自分に何が出来るのか、これからもそれをずっと探し続けながら生きていきたいと思うCCDなのでした。
※サイボーグ女子という言葉に抵抗感のある方もいらっしゃるかもしれません。世の中、心無い言葉に傷つく人もたくさんおります。私は私自身のことを語るので、冗談めかして言ってますが(冗談でもないのですが)、どうか様々な事情で身体的に障がいを抱える方に対し悪意のある言葉を向けられませぬよう切にお願い申し上げます。
ccd0210
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