君と陽炎とアスファルト
どうみても安っぽい開襟シャツに趣味が悪くてこれまた安っぽいジーパンに薄汚れた白いスリッポンという今日び硬券の切符よりも珍しい、不健康そうな小太りでパンチパーマに銀縁眼鏡の中年男が、でーんと腰かけて駄々をこねる。
「おじさん、オトーサンと坊やが困ってるじゃないか。アンタの席かい?」
「(ッチ!)」
男はこちらに一瞥もくれず、聞えよがしの舌打ちをしてソッポ向いて狸寝入りを始めた。オトーサンの方をチラと見やると、彼はおずおずと端末を僕に見せて、荷棚に表示された座席番号に目線をやった。彼の訴えはもっともだった。このチンピラが父子の座席を占領して居直っているのだ。
「オトーサン、坊や、ちょっと待ってな。ゴミ捨てて来っから。座ってな、ココ。な」
言いながら僕は、素早く左手を伸ばし中年男に喉輪をキメてそのまま引きずり起こした。驚いた顔で目玉をコチラに向けて僕を必死に睨みつけたが、もう遅い。
「オッサン、向こうで話そうや」
僕は低い声でそういうので精一杯だった。腹が立って仕方がなく、足もハラワタも震えてしまう。自然と喉輪をキメる手指にも力が入り、さらに気道を圧迫すると中年男が
「クェ」
という声ともつかぬ音を漏らす。
そのまま目線よりも高く持ち上げる。列車の天井に頭が付きそうなくらいの高さまで持ち上げて首を絞めたまま、僕はさっき来た通路を戻り始めた。ざわつく車内も、バタつく中年男にも構わずそのまま客車の廊下まで持っていき、思いっきり床に叩きつけた。後頭部を強かに打ち付けた中年男が呻きながら半身を起そうとするところで、その顔面を正面から爪先で蹴り込む。眉間と鼻の頭の辺りに足がめり込み、ヤニ臭い蓄膿と鼻血の混じった黄土色の液体が鼻と口から噴き出した。
「ぶごお!」
ふご、ふご、と怯えながら後退りする中年男の無様に開いた両足の中心に、再び左足の爪先が飛ぶ。ごきりゅ、と音がして、睾丸と陰茎が衣服の中で潰れて飛び散る感触がした。どす黒いシミが股間に広がる。
「ブギャーーッ!」
ずれた眼鏡の奥の濁った瞳で、完全に僕の事を人殺しを見る目で見ているが、元はと言えば悪いのはお前だ。気の弱そうなオトーサンと、その息子にだけはエバりくさって、僕にちょっと懲らしめられたら被害者気取りか。いい御身分ですね。
「び、びど、びどごぼぢい、いぃ……!」
「僕が人殺しならお前はなんだ。気の弱そうなヒトと、その子供にだけはエバりくさって。僕にちょっと転ばされたら人殺しだとぉ? 被害者気取りか、いい御身分ですね」
ちょうど思っていたことがそのまま口からスラスラ出たので気分が良くなった僕は、そのままコイツを車外に放り出そうともう一度首根っこを掴んだところで、プシーーと音がしてドアが閉まろうとした。
「おっと!」
慌てて中年男を首まで車外に突き出したところで時間切れ、定刻通り発車のお時間となった。プシューーガラガラと音がしてドアが横に滑り、中年男の首筋にガッチリ食い込んだまま止まった。
「ばあああああ、あが、だ、だずべべ」
ジタバタと手足を振り回すが、ドアは微動だにせず列車の方はゆっくりと動き始めた。非常停止ボタンも近くにあるのだが、そっちは僕がブン殴って回路ごと潰しておいた。これで善意の第三者が通りかかっても、こんなバカタレを助けるような愚かな真似はせずに済む。
「じゃあね。ヴィエン・ヴィアヘ! 良い旅を」
僕は中年男のケツにひと蹴りくれて、その場を立ち去って自分の座席を探して座った。あの父子が気を取り直して、旅を楽しんでくれていればいいけど。
ふう、とため息を付いた時、反対側の窓際の客が悲鳴を上げた。
ビュンビュン通り過ぎる風景に血しぶきと、砕けた脳味噌や顔面の骨や銀縁眼鏡や濁った目玉が混じってすっ飛んでいったという。窓も赤く汚れてしまった。
廊下で何か重たい、不健康な中年男の胴体ぐらいの重さの肉袋がドサリと崩れて転がる音が聞こえた。
欄外私信。
お陰様でキリよく100回を迎えることが出来ました。
毎度、ご覧いただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。私は私の頭の中を、こうして描き出して文章にしている時間が、今いちばん幸せです。
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