干潟のあぶく
ブルースポメニック号はマッドナゴヤを通過し、泥濘濃脂濁砂利土石流をゴウゴウとたたえる木曾三川を跨いでゆく。どす黒い紫色に泥や土が混じって、そこに脂が浮かんだものが絶え間なく波打ち流れてゆく。油膜に乱反射する、終わりかけの夕焼けがギラリ。
さっきまで窓の外に広がっていた、マッドナゴヤの喧騒と物騒さが、なんだか僕には懐かしくて心地良い。ここに居ると何処で何人でも殺せる気がして。でも、すぐ飽きちゃうか。
ヒトなんか、殺そうと思ってるウチが華だよね。きっと。
ナゴヤ圏を抜けると、桑名、四日市、鈴鹿と荒野と化した旧市街を線路の上から眺めてゆく。かつては一大産業地だったが、戦乱に巻き込まれ絶え間ない破壊活動に曝された結果、瓦礫と廃墟と焼け跡しか残らなかった。
かろうじて生き残った人々も街を捨て、いなべ、菰野と山伝いに永源寺方面へと避難し、山岳コロニーを築き上げて暮らし始めたことで殆ど無人の地帯となってしまった。
付近に住民が居なくなり、土地の管理者も所有権も有耶無耶になったのを良いことにどこぞの業者がソーラーパネルを限界まで敷き詰め、積み上げた後で全部崩れて暗ぼったい瓦礫の山になった鈴鹿峠はモノ寂しくて、なんだか落ち着かない。たぶんきっとおそらく、僕は喧騒の中に人知れず潜んでいるのが、性に合ってるんだ。そのためには、やっぱりオーサカなんだ。
ブルースポメニック号がトンネルに入る。長い長い、一直線の暗闇に時々光る線路灯だけが流れ星のように過ぎてゆく。このトンネルの上には、崩れ去って朽ちることも発電もしなくなったガラクタが山になって積み上がったまま放置されている。見て見ぬフリして通過出来る便利なトンネルだ。文明の弊害と抜け穴ってか。
何でもかんでも世相風刺にかこつけて悦に浸ってる中年限界貧乏ツイッターアカウントみてえなこと言ってる場合じゃない。
「お弁当にサンドイッチ、お飲み物、雑誌にお菓子はいかがでしょうか」
おっと。ちょうど喉が渇いていたんだ。
「おーい、お姉さん」
と、僕が呼びかける。お姉さんは明るく
「ハイ、少々お待ちくださいませー」
と、答えてくれた。でも──
「ああん? なんで待たせるんですかあ、呼んでるじゃないですかあー、買ってあげようって言ってるんですから早く済ませて持ってくるのがプロの接客のあるべき姿でじゃないんですかあ!?」
「申し訳ございません……ただいま向かいますので少々お待ちを」
「だぁからあ、それじゃ意味ないの!」
「すみません、すみません」
「おーい、早くしろよブス! お前の上司と会社名は!? はい、早く出して!」
「え、あの、それは」
「は? なんで出せないの? 待たせてるのに理由があるからって謝りもしないんだよね?」
「申し訳ございません」
「早く出して、もういいから!」 最後の、もういいから! の捨て台詞を吐く時に、このバカがテメエの身勝手極まりない怒りと苛立ちを表現して、車内販売のお姉さんを脅すためにとった行動は
僕の椅子の背中を思い切り蹴る
だった。
「何が、もういいって?」
言いつつ僕はヌーっと立ち上がった。後ろの座席に座っていたのは不健康そうに小太りしていて、如何にもケチな根性が張り付いた顔にファンデーションだの口紅だのを無駄に無理やり塗りたくったうえに色つきのフチなし眼鏡を乗せました! といった塩梅の、絵に描いたようなクソババアだった。
女性への優しさをアピりたい紳士気取りの青臭いバカに限って、些末な表現を槍玉にして重箱の隅を突く。ホントはお前自身の槍とタマでもって女性を優しく突きたい、自分が優しいヤリ玉になりたい、と思ってケツかるくせに。そんな配慮も無駄に思えるくらいのクソババアっぷりを発揮していた2秒前とは打って変わり、僕の顔を見たとたんに醜い顔がさらに引きつって汚くなった。
「オバサン、椅子、蹴らないでよ」
「え、あ、あ、はいはい。すみません」
「自分が立場の弱い人に何かする時は良くて、僕にはそんな謝り方しか、してくれないの? さみしいねえー」
いい加減にうるさかったし、次の駅で叩き出そうかと思ってたところだ。でも、いいか。ココで。
「あの、お客様、申し訳ござ」「お姉さんが謝ることじゃないよ」
「でも」
「謝らなくちゃならないのは、そういう対応手順書でもあるんでしょ。でも、こんな奴、謝ったらどんどん付け上がるからさ。そんなに上がりたきゃ」
僕は座席から立ち上がって後ろの席、つまりクソババアの横に立った。クソババアは相変わらず引きつった顔をして、めんどくさそうに瞬きやため息を繰り返している。
「勝手に上がってりゃいいのさ」
素早くクソババアの喉元を掴み、そのまま右手一本で勢いよく持ち上げて天井に頭を突き刺した。ゴキッ! と、バキャッ! が同時に聞こえた。
前者はババアの首の骨が砕けた音。後者は天井の板をババアの頭蓋骨が突き破った音。首が折れたまま天板を突き破ったものだから、グニャリと曲がってそのまま引っかかって落ちて来ない。ジタバタと藻搔けば藻掻くほど、手足は虚しく空を切り、首に食い込んだ裂け目の尖った部分が擦れて血が垂れてゆく。
ジタバタは程なくして収束し、血とうめき声の代わりに座席の上に生臭い小便と、それに輪をかけて苦臭(にがくさ)い大便をボトボト垂れ流し始めた。
「やれやれ、これじゃ臭くてゆっくり座ってられないや」
「ひっ、ひぃ」
僕の一連の所業を見た販売員のお姉さんも、すっかり怯えてしまい今にも泣きだしそうだ。もしかすると一生消えない傷跡を、心に刻んでしまったかもしれない。
助けてあげるつもりだったのになあ。
「お姉さん。冷たいのをブラックで、ちょうだい?」
「へ、は、あの、かしこままりまましま」
何万回と繰り返して来たであろう接客用語が、針の飛んだレコードみたくグズグズになっている。そんなにショックだったのかな。
助けてあげたつもりなんだけどなあ。
「あの、サイズは……」
「え、あ、そっか。じゃあ大きいので」
「かしこままりまましま」
震える手足をどうにか堪えて、カチャカチャと音をたてながらもどうにかコーヒーを注いで手渡してくれる。その手もプルプル震えているし、決してコッチを見ようとしない。
「お待たせしました……」
「ありがとう、お幾らですか?」
「えっとあの、んとあの」
「じゃあ、コレで。残りはお姉さんがコーヒー飲みなよ」
そう言うと僕はポケットの小銭を幾つか摘まみ上げて、500円玉や100円玉をザラっと手渡した。その銀色の硬貨の上に、ババアの垂れ流した糞便がポタっと落ちて来た。
「コレがホントのクソババア、か」
お姉さんは笑いもせず、引きつった営業フェイスを崩さないままそそくさと立ち去って行った。


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