2005年5月のある晴れた一日の始まり
メキシコ。午前十時ちょっと前。
僕は日本人プロレスラー養成学校の寮にいた。建物は四階建てで一階が道場になっており二階はリビングとキッチン、それに校長の執務室。三階には寮生の部屋が四つとシャワー室。四階には寮生の部屋が四つに洗濯場、そして屋上に続くハシゴ。屋上はバルコニーになっており日焼けも出来るとのことだったが、ちょうど改装工事中で何も無かった。
道場の天井は高かった。明り取りの四角くて小さな窓から外の白っぽくて濃い陽射しが四角く差し込んでいる。トレーニング用のシャツとスパッツに着替えて、肘と膝に装着した黒いパッドをグイと上げて、黄色いレスリングシューズのヒモを硬く結ぶ。
こうすると捻挫しにくくなるんだ
と、金髪のロングヘアーを束ねながら先輩が言っていた。僕はそれをずっと愚直に覚えている。硬く締まった感触の足でエプロンに上がり、コーナーポストと呼ばれる四本の支柱に三本ずつ渡してあるロープの真ん中を掴んで少し押し下げながらリングに入る。
黒いマットに赤いロゴマーク、薄いウレタンマットの下はシートを張った厚い木の板が渡してあって、土台の部分は鉄骨だ。だから足の裏は柔らかくても実際は、とても硬い。
中央には巨大なスプリングがあって、それで衝撃を吸収する。だから動き回るたびにグラグラと激しく揺れる。特にリングの真ん中に立つと非常に不安定で、この上にフツーに立ってるだけでも実は結構難しいのだと初めて思い知った。
体重90キロを超える僕がリングに上がってもビクともしないが、足元だけは騒がしく揺れ動き、ロープと支柱を結ぶコーナーポストの金具とそれを覆うターンバックルがグラグラと笑う。
リングのある生活。
食事と、トレーニングと、レスリングをする生活。
十八歳の春、僕は異国でそんな暮らしを送っていた。
僕を含めた練習生がリングの上に集まって赤コーナー側に列を作って並ぶ。先頭にはベテランルチャドールで日本で初代タイガーマスクともタイトルマッチで争ったことのあるネグロ・ナバーロさんが立つ。この学校の専属コーチで、いわば僕たちがプロレスを学ぶ先生だ。初めて目の前に立ったとき、ビデオテープが擦り切れるぐらい見たネグロ・ナバーロ本人が居る、それどころか直接ルチャ・リブレを習うことが出来るだなんて実感がわかず、なんだかボーっとしてしまったのを覚えている。
まずネグロ・ナバーロさんが手本を示す。ルチャ・リブレの基本動作を習う前にまずは徹底的にマット運動とアマチュアレスリングで更なる基礎を作る。赤コーナーから対角線上の青コーナーまで前転、後転、飛び込み前転、倒立前転、後転倒立、側転と延々続く。一人ずつ行っていくので待っている間にも頭の中では様々な思いがぐるぐると逆巻くようにして去来した。
プロレスを見始めた時からメキシコのプロレスラー、現地の言葉で言うルチャ・ドールに興味があった。そして知れば知るほどメキシカンプロレス、ルチャ・リブレの魅力に憑りつかれていった。気が付いたらプロレスラー養成学校の面接を受けて合格し晴れてメキシコにある道場でプロレスのリングに立った。
身長体重不問ということで、同期生も先輩方もみんな個性的かつ十人十色。小兵から巨漢まで色んな人がいた。僕は170センチ90キロ少々で学校のクラス内では大きい方だったけどこの中では特に目立つということはなく、ごくごく普通の新人候補生だ。
「次!」
補佐役の先輩レスラーに促され、自分の番の運動をこなす。
同じ国、同じリング、同じ夢。プロレスリング、ルチャ・リブレ、僕の青春。
それが全部この記憶の中に詰まっている
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