干潟のあぶく
ニッポンバシオタロード。
狂乱の大勝利都市・トライアンフオーサカの持つ西の経済本拠地、物流大本営、革新的育脳教育ネットワークとしての顔の、そのまたウラの顔とも言える、雑多な文化が繁殖する混沌地域。昔ながらの中小零細電機店や印刷屋、工具器具備品店、家族経営の町工場。
その労働者向けの安い飲食店に酒場。そして慰安をもたらす健康サロンや宅配的派遣業。
それらが隆盛を誇っていたのは戦争直前まで。荒廃したトライアンフオーサカの都市再生計画では、それらは殆ど残されなかった──
もっとも、資材も原料も限りなく入手困難となったことで、戦争で焼けたり行政に潰されたりしなくても存続は難しかっただろうと思うが……。そして代わりに隆盛を極めているのが、イニシエのコミックやコンピューターゲームソフト、音楽や映画のレコードなどをはじめとするレトロメディアに特化したニューレトロ電機街文化だった。
初めは焼け残った喫茶店の店主が営業を再開するにあたって、戦前のようなネット回線を用いた有線音楽配信サービスが途絶えたことで、実質的なみかじめ料に等しい加入義務や選り好みも出来ず押しつけがましい選曲と軽薄なヒットチャートからの解放を喜ぶと共に趣味であるアナログレコード盤に刻まれた名曲の数々をBGMとして流し始めたことにあった。
やがて音楽を求め文化に飢えた人々はその店で憩い、一人また一人と集まって来ては各々がレコードを持ち寄って共に過ごすようになった。さらに或るものは自らも店を開き、またそこに集い、さらに数年を経て賑わいを取り戻すと往来の至る所が蛍光色の液体照明で満たされたフレキシブルチューブや、敢えてショーワと呼ばれた年代を意識したネオンサインで飾られるようになった。
そんな往来に旧時代のメディアに刻まれたレコードを並べたり鳴らしたりする店がひしめき合う様相を呈するようになったことで、誰が呼んだか音楽オタク、ゲームオタク、読書、映画、アニメ、漫画に小説あらゆるオタク。それも戦前のオールドメディアを好むオタクが集う、オタクの道を究めたい人たちの場所。
それが通称として定着したのがニッポンバシオタロード。
だ、そうだ。
ぶらりと降り立った白昼のニッポンバシオタロードには真夏の強烈な陽射しが悪意を持って降り注ぎ、ぎらつくアスファルトから湿った空気が立ち昇ってゆらりと揺れる。
「お兄さん、かっこいいね!」
そんな干潟のような往来で不意に声を掛けられて、振り向くとそこにはオールドスクールなメイドさんがチラシの束を小脇に抱えて微笑んでいた。
みんなが思い描くメイドさんの、もっと古めかしくて、ちょっと上品に感じるタイプのメイドさん。
黒いショートボブに透き通るような白い肌、明るいルージュを引いた可愛らしく丸っこい唇から発せられる、まるでアニメのヒロインみたいに高く澄んだ声。クリっとして黒目の大きな瞳。ツンとしたオトガイ。
真夏だというのにしっかり着込んだ衣服の上からでもわかるほど豊かな胸のふくらみと、長いスカートを揺らす小股の切れ上がった脚。
「ねえ、お暇ですか? 良かったら一服してってよ」
敬語とタメ口の混じりあった不思議なしゃべり方が、いかにもメイドさんな感じがしなくて、そこも良かった。つまり
「か、かん……完璧だ」
「???」
瞳をクリっとさせたまま首をかしげるメイドさん。暑いし、チラシも減らしたいだろうし、早く空調の効いた控室に帰りたいだろうし、立ち話なんかメンドクサイだろうし、蒸れた腋の下や下着の中もクサイだろう。どうしよう、どうしてもそれが確かめたい。
嗅ぎたい。
「君、な、名前は……?」
「あぶくちゃん!」
顔をぎゅっとほころばせて、あぶくちゃんと名乗った彼女が微笑む。そのオトガイに垂れた汗がぎらつく陽射しを浴びて輝きながら、舗装された干潟にこぼれて乾く。
「あぶくちゃんか……可愛いなあ」
「ありがと、お店きてね!」
じゃね、はいこれ! とB4サイズの紙きれを僕に握らせると、あぶくちゃんは陽炎の踊る干潟のような往来をひらひらと去って行った。きっとまた次の疲れた物欲しげな男に、この手書きのイラストと地図の入ったチラシを配りに行くのだろう。


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