トライアンフオーサカは元々、関西圏における商業と物流の中心地のひとつとして栄えていたことから仕事や物品の需要には事欠かなかった。それに、この地で長らく暮らす人々の結びつきも強く、オーサカは中央や他の地域とは違う、我らのオーサカ、という気風も追い風となった。
東京は冷たい、人情が無い。自分たちのことばかり守って、お金を出せば済むことすら出さずに済ませることばかり考えている!
そんな風に、東京を「仮想的国」と見做して団結することで加速がつき、やがて
これからは独立したオーサカとして、復興への妨げとなる経済の混乱、都市の荒廃、それによる貧困と治安の悪化、文化の退廃、などといった様々な「逆風案件」に「勝利」し、輝くオーサカ、みんなのオーサカとして邁進する!
というような耳触りの良いスローガンが生まれ、そこからトライアンフオーサカと呼ばれるようになった。
マッドナゴヤが巨万の富を有り余らせた巨大企業同士の争いと、それに引き寄せられた魑魅魍魎どもの跋扈によって、傍から見ても現在進行形で大いに狂いまくっていることから付けられた、いわば自虐も込めた蔑称なのに対し、トライアンフオーサカは内側から湧き上がる民衆のエネルギーを利用し、民意という名で梱包した権益を一つの方向性に向かって誘導するためのプロパガンダであったと言える。
戦前に存在した古き良き店や企業の中で生き残ったものたちが逞しく商売を再開し、それによって生産、物流、販売の現場に活気が戻って来た。人が集まればお金も集まる。それを目当てにまた店や人が増える。メシ、宿、娯楽、慰安が豊かで乱雑に広がり根を張っていく中で、オールドメディアと呼ばれる戦前に流通した磁気テープやディスクに記録されたレコードの収集が趣味であったカフェ店主が店でそれらを再生し、客と一緒に楽しむようになったのを端緒にコレクターや愛好家が集まったのが、ボクたちのいるニッポンバシオタロードだね。
このニッポンバシ界隈は過去にも地下文化や副流行的なレコード、演劇、マンガアニメ自主映画に同人誌と言ったものが集まり、それらを取り扱うショップが古くからある道具屋・電器屋と混在した時期もあったくらいだった。そして、それに並行して増えていったのがメイドさんやセーラー服、それに映画漫画アニメなどのキャラクターや軍隊の衣装をコンセプトにした飲食店だった。
これらの店には若い女性が多く勤め、近在の男性客をメインターゲットに営業をしていた。評判を呼んだ店には近隣は勿論のこと遠路はるばるやって来る者もいて、またあくまで男性向けと思われているのはイメージであり、女性客も歓迎されていたことも事実だ。
でも、それら有難いお客さんとは反対に歓迎されない者たちも寄ってくるようになった。店で流すBGMとして自分たちの運営するチャンネルを受信せよ、という、いわばデジタルみかじめ料を徴収しようとする、君のいうところのヤクザもどきのチンピラどもさ。
法外とまでは行かないけど割高には違いないし、そもそも店には文字通り売るほどのレコードがある。それなのに、高いお金を払って受信してないと店先で暴れたり張り紙やゴミをブチまいたりと嫌がらせもされる。浮浪者の中でも特に身なりの汚れた、悪臭を放つ者だけを雇って店の前に居座らせたりね。
トライアンフオーサカでは埠頭での荷役や工事現場の寄せ場に集める人員確保のため、各地からやってくる流れ者や宿無し、指なし、ひとでなし、だけど前科はたんとある。といったような者たちを多数雇い入れることとなっていたことが背景にあった。
独立宣言からこっち、パーソナルセンターからの供給が表向き途絶えたことで地場のはぐれ者を中心とした雇用へとシフトしたというのが奴等の言い分だけど……実際はパーソナルセンターは裏に回って、オーサカ各地の自治体や独立政府準備室と呼ばれる事務方にガッチリ食い込んでいたんだ。
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