赤茶けた土が剝き出しの山々が連なり、覆いかぶさるように遥か彼方で待ち受ける荒野にひとり。自分の足跡だけが、見つける人も居ないまま点々と残され風に吹かれて砂を浴びる。
誰にも邪魔をされず、誰の邪魔をすることも出来ない、空虚なフリーダム。
ヒョオ、と鳴る空気の流れが階段になって青空を昇ってゆく。昇っても昇っても雲は白くて、地面だけが高く高く、近づきながら遠ざかってゆく。ぐわん、と背後に眩暈を感じて、その揺り戻して前のめりに浮かび上がり、乾ききった灼けた大地に魚になって泳いでゆく。
どのくらい歩いてきただろう。
もはや際限なく続く廃墟と荒野の舞台装置が、壊れたまま放置されて何十年、何百年、何千年、何万年、何光年、何秒間、一人きりで居られただろうか。わかんない。だけど、これが、僕のブリリアントワールド。
最高にして最後の世界は、たった一人で歩き続ける赤茶けた山脈を頂く荒野。
追憶がクラゲになって、深海のように青い空の彼方を泳いでゆく。虹をくぐり雲をかわし、ときどき風に吹かれて頼りなく。だけど何かしらの意志を持つ、目も鼻も持たず鳴き声も出さない、白色の半透明な体とアタマだけを、ふよふよと揺らして。
太陽すら、もう沈まない。明けない夜など無いと言われて、耳を塞ぎシカトを決め込むことも許されず、美しい絆で雁字搦めにされ活かされ続けた日々が終わり、沈まぬ太陽は文字通り晴天の中心に鎮座し続け、そのまま居座ることにしたらしい。
どんな有能な人物も、どんな清廉潔白な行いも、どんな美辞麗句に従い飾り立てた真実も、その場に居座り続ければ周囲が腐って死んでゆく。清潔は不浄の対義ではなく、不毛の逆説なのだ。
こうして滅び去った世界を、今ひとりで歩き続けている。
なんの音も無く、誰の足跡も無い。残されたものはみな全てコレ骸であり、何かだったモノ、でしかない。もう何でもなくなってしまったのは、形を失ったからでも、壊れてしまったからでもない。
それを必要とし、用があってやってくる者が誰もいなくなったからだ。
それを必要としている人が誰もいなくなった時、それは静かに死んでゆく。
この世界は、いま、まさに、ゆっくり、ゆっっくりと死んでいる。僕のほかに誰かが、今も何処かを彷徨い歩いて居るのだろうか。それとも、僕が死ねば、もう本当に誰も居なくなってしまうのか。そうなったときに、この世界は、いつまで、どうやって存在し続けるというのだろうか。その存在を、誰に証し、誰に認められ、誰が生きてゆくことになるのだろうか。
精神的な存在として僕や、大勢いた誰かさんたちが、肉体が滅んでもなお残っているとしても。物質に触れている者が居なくなれば、あとは遅かれ早かれ風化して滅んでゆくだけじゃないか。肉体の死が、存在の無化に直結している気がしてならない。
僕が死ぬから世界も消えるのか、世界が消える時に僕も死ぬのか。
僕だけの世界になった、この赤い赤い大地で。
僕だけが見上げて歩く、この青い青い大空を。
赤茶けた山肌が、また少し近づいてきた。僕は背中にずっしりと乗っかって重さを増す眩暈を感じながら、足だけを機械的に動かし続けた。石を蹴飛ばし、意思を失い、砂を踏みしめ、影を引きずり、赤茶けた山肌を目指して歩き続ける。
何処へ向かって?
誰を探して?
何のために?
わからない。だけど、これが、僕の、ブリリアントワールド。
澄み切った空気が積み重なった階段になって、空へ空へと昇ってゆく。
誰の顔も思い出せない、誰の声も思い出せない。名前も、感情も、何もかも転がり落ちてゆく。そのまま空と地面が遠ざかりながら近づいて来る、眩暈のなかで、僕は空気で出来た階段を昇って、あの赤い山に向かって歩いてゆく。


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