幾何学模様の描かれた壁が崩れて瓦礫になってゆく。建物だったもの、天井だったもの、床だったもの、階段だったもの。何もかも破壊され崩れ去った砂漠の街のアラベスク。空いちめん白く黄ばんで病んだ雲にどろりと溶けた液体の太陽。
砂埃の舞う往来を往き来するヒトは、もういない。緑を失い、泉は枯れ果て、灼熱の陽射しと砂嵐だけが残されたこの街を闊歩するのは二足歩行の機械生物たちだけ。二足歩行といっても、二本の長い脚と腰にあたる部分だけのシロモノだ。この機械生物の各所には生体部品が使われており、脚の方は運動するための筋肉やそこに栄養や冷却液を供給し潤滑油を循環させる役割も兼ねた強化血管が張り巡らされている。腰の中にはそれら消耗品の粗製、代謝を司る内臓が詰め込まれていて、それらが恐るべき精密さで組み合わさり動き続けている。燃料と代謝される消耗品の原料は、生きたニンゲンだ。正確には新鮮なタンパク質と各種ミネラルなどの無機質、そしてビタミン類。要するに生きたニンゲンがもっとも効率的なエネルギー源として摂取するように開発されたのが、この二本足の機械生物だ。機械生物が好としてニンゲンを選んだのではない。ニンゲンが機械生物の好物に選ばれたのだ。
他国に住む、同じニンゲンの考えによって
元は戦時中この街を攻撃し占拠するために投入された兵器だったのだが戦争が終わっても制御することが出来なくなってしまいそのまま残されたものだ。今となっては何故その戦争が行われることになって、いつまで続いて、どうやって終わりを迎えたのか。それを知る者は誰もいなくなってしまった。いや、その戦争で結局一人残らずヒトという生き物がいなくなってしまったのだ。片や毒の脂をたっぷり含んだ泥雲で空を覆い尽くし海も山も沈めた。方や吸い込んだだけで体が内側から焼け爛れる真っ赤なガスを撒き散らした。猛毒の脂で泥沼になった国と、真っ赤なガスで焼き尽くされた国。それは結局どちらも滅びた。摩天楼の煌めく帝都も、脂にのみ込まれた海岸線も、ガスにまみれた地下道も、どこもかしこも死体で埋まった。
やがて空虚な日差しを浴びる車の列がハイウェイに真っすぐ並ぶ。
止まったままのサブウェイが冬虫夏草のように眠る。
翼の折れた天使のように空港に帰り着けず落ちたエアライン。
今日も生きたニンゲンを探して二本足の機械生物が闊歩する。誰もいない、生きたニンゲンの絶滅した世界を歩き回る。やがてその歩みは鈍り、一匹、また一匹と倒れてゆくだろう。餌がなければ死んでしまうのは機械も生物も同じことだ。勝手に争い勝手に生み出し勝手に滅びゆくニンゲンを、最後に食べたのはいつだったのか。そんなことを考えてみても、話す相手も伝える言葉も残す媒体もない。
この世界は、もう終わった
生き残ったのは双方の陣営が作り出した有機細胞を使い筋肉や血管などの体内インフラを構成する生体兵器のみ。皮肉なことに、この巨大な生体兵器を製造するのに必要なニンゲンの数は相当数に上ると言う。それだけのニンゲンを使って作った兵器だけが闊歩する廃墟の惑星。足音とレーダーのノイズだけがこだまする砂の海。それ以上でも、その他でもない。ただその次というものだけが存在しない。
この世界は、もう終わった
双頭の巨大生物。短い手足と長い胴体
すべて真っ赤に染められ真っ赤なトゲに覆われている。顔というより二つのクチバシが左右に一対突き出したような形の頭部
ギギ、と向かって右のクチバシが鳴く
ガガ、と向かって左のクチバシが叫ぶ
双頭のクチバシから真っ赤な炎を吐き出して、何もかも燃やし尽くしてしまうつもりらしい
山も、森も、街も、何もかも
無人街。生きた人間などとうの昔に滅び去ったこの世界には、壊されて困るものなど最早どこにもなくなった。燃やし、壊し、殺す為に作られた人造生物たちが、燃やし、壊し、殺すためのニンゲンを失くしたまま今日も虚空に吠えている
獣やヒトの形を模しあらゆる兵器で武装した巨大な生物兵器
魚類や鳥にも似た様々な姿形を持つ円盤生物
全身が銀色の光に包まれた宇宙生物
遺跡から蘇った古代生物
彼らはみなニンゲンによって造り出され捕獲され呼び出され、標的となったニンゲンを攻撃し殺害することだけがこの世に存在する理由であり価値でもあった。存在価値を存分に証明したら、存在理由が一つも存在しなくなった。そしてそれを止めることも消すことも出来ないままこのいびつな人造生物たちは独自に繁殖し、新たな存在証明を作っていく
怪獣たちのraison d’etreが始まった
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