「果物屋さんがあったなんて知らなかったなあ、地図に書いてあったっけ……お客さん、来るんですか?」
ボクはつい、思い浮かんだ疑問をぶつけてしまった。
「それが……ここなら沢山お客さんが来てくれると思って来たんですけど、お店もお客さんも、みんな綺麗で可愛くて。私たちは何もないところから来たので、売り物も身なりも粗末だし、なんだか恥ずかしくって気後れしてしまって……」
マト、と言ったっけ。敷物の上でもじもじしている幼い男の子が、ボクを見て恥ずかしそうに微笑んだ。
「そうこうしているうちに、こんなところまで来てしまって。折角なんにもないところから来たのに、また隅っこに落ち着いてしまってるんですひん。やっとお客さんが来てくれてうれしいですひん、良かったらタマリンドや玉桃の糖蜜ジュースも如何ですひん?」
「タマリンドに玉桃ってことは、皆さんは湖から来たんですか?」
「はい。私たちは湖のほとりで暮らしているヒン族というものですひん。あっ、私はミンミと言いますひん」
「ミンミさんか。ボクはサンガネ、こちらニッポンバシオタロードのあぶくちゃんに、ミロクちゃん」ボクは自分と、二人の女性をそれぞれ右手で指示して、話を続けた。少し言いづらいことではあったが。「それで、その、ミンミさんたちと湖のことはボクも聞いたことがある。かつて、この国がバラバラになる前は、日本一大きな湖だったって……でも、あの湖はもう」
「ええ……何年も、何十年も前からどんどん干からびてしまって、今は殆ど残ってないんですひん。湖の水で育つ生き物、お野菜も獲れなくなってしまったし、私たちも新しい住まいを探さなくちゃいけなくって」
「様子見がてら、出稼ぎに来たってわけね」
そう言いながらタマリンドの黄色い果実を一つ、ひょいと掴んだミロクちゃんが香りを確かめた。
「凄い、こんな甘くて深い香りのするタマリンドは初めてかも知れない」
「地下を流れる水脈も枯れかけているせいで、小ぶりだけど甘みの詰まったものが出来たんですひん。丁寧に育てていますから、虫や傷も少ないんですひん」
「玉桃もやわらかくって、美味しそうね」
「良かったらおひとつ食べてみてくだひん、甘くてジューシーですひん」
真っすぐな黒髪を肩まで伸ばしているミンミが、柔和で人の良い微笑みとともに、あぶくちゃんに玉桃をひとつ手渡した。クリッとして彫りの深い目鼻、大ぶりの唇は瑞々しく、オトガイが張り出した派手な顔たちと裏腹に、どうもとても大人しい性格の人みたいだ。
「……おいしい!」
じゃくっ、と瑞々しい音を立てて玉桃を齧ったあぶくちゃんが、眼を剝いて呟いた。
「ホラホラ、みんなも食べてみなさいよ。あたしが買うから、ホラ!」
「ああ! ありがとうございまひん。マト、こちらのお姉さんに玉桃をふたつお渡ししてね」
「うん!」
ぷにぷにほっぺのおかっぱ少年が、そばにあった玉桃をふたつ小さな手のひらで包んでトテトテ持ってきた。
「はいどうぞ!」
「あら、ありがとう!」
マトの背丈までしゃがんで目線を合わせたあぶくちゃんが、ニッコリ笑って玉桃をふたつ受け取った。あぶくちゃんは昔から自分が気に入ったものを勧めるときに何でも自分で買ったり取り寄せたりしたものを分けてくれる。そうじゃなきゃ責任が取れないから、だそうだ。
「ほんとね、美味しい!」
「凄いね、こんなに甘いんだ」
実は玉桃は湖のほとりでなくとも、オーサカ近郊でも栽培されているし流通してくる。租界のそばの青空市場でも買うことが出来るし、正直なところ玉桃ぐらい、と思っていた。でもこれは段違いに味が濃くて香りもいい。こんなに美味しい玉桃は初めてだ。それに値段も……「あれーー、こんなとこあったっけー!?」
そこへ、ガラガラと張り上げた女性の声が響いて来た。
「え、ねえちょっと、あれ店え?」
「え、なんか並んでるよお」
「本間? やってなんもないで」
「え、待ってめっちゃかわいいー、あかちゃーん!」
「すごー、ぷにぷにやんか」
「あ、あの、いらっしゃいまひん」「えーこれフルーツ屋?」
「つかなんなん、ボロにしょぼいクダモノ置いただけやん」
「よかったら、玉桃食べてみてくだひ」「はーーまじいらんし」
「てか今うちら喋ってんねんけど入ってこんといてもろて」
「あっ、ごめんなひん」「なんなんそれ、ひんひん、て」
「もおーええて、いこ。しょっぼ、こんなん食べるん? 乞食やん」
「そんなん言うなやー! 可哀想やん」
「マジいらんくない? 赤ちゃんと子供まで見せて客呼び込むとか、終わっとるやん」
「しょーもない田舎者やもん。気にしたらウチらまでよごれるわ」
「せやな、行こ行こ」
「フルーツスタンドあるやん」
「えーーめっちゃかわいいー!」
けばけばしい装いに包んだ全身を樹脂と塗料で飾り立てた嵐のような女の子二人組は、散々に言いたい放題して去って行った。心無い言葉と態度の大安売りと言った感じで、何処を切っても相手を見て選ぶ態度の見本市のようでもあった。
「……そ、そこまで、そこまで言わなくても」
確かに粗末で擦り切れたり色褪せたりした敷物の上にへたりこんだミンミが、両手で顔を覆ってさめざめと泣き始めた。ボクはどう声をかけたらいいのかもわからずに、手に持ったまま少しぬるくなった玉桃をまたひとくちだけ齧った。


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