第26回「くたばれ善人面」

満ち足りた生活を送る男の善人面。

 あっ。
 コレ自分が何か行動した方がいいよな、と思いながらも何も出来ることがなく今日も半笑いで其処に居る。何かしなきゃ、でも、何をすれば? 教えてもらっても出来ないものは出来ないし、仕方がないと開き直って其処に居る。
 それに加えて何か余計なことをしてないか、出来ると言って出来なかったらどうしよう、でも出来ないのは本当だしとりあえずやってみよう。そして恐々取り掛かった結果さしたる問題もなく片がつけば案の定、善人面をしたロクデナシから言われるのは
「保険をかけている」
 失敗してもホラ言ったとおりになった、上手くいけばナンダ出来るじゃんと褒められる。謙虚なのかもしれないけど自信ありませんって言ってればそういう風になるし、前の会社で辛かったからといってじゃあ今度はと違う会社に入って環境だけを変えてもまた一緒のことになる。そうやって逃げてもまた同じで、そうやって自分の生活レベルを落としても同じことの繰り返しになる。もっと言えば仕事に行かず引きこもりになってもまだまだどんどん生活レベルが下がってゆき最後には自殺をしても結局は苦痛からは逃げられない。自分で自分の首を絞めても死ぬのに至ることは出来ない。云々
満ち足りた生活を送る男が善人面で説教を続ける

 これは初めてやることだから、こなせる自信は無い。上手くいくとは思っていない。だから注意したいし、しっかり身につけたい
 ということを言うだけで、反対にこの言われ様だ。大体、逃げたのなんのと言うのは何を見て言っているのだ。どうせそういう事だろう、というお前自身の考えだけで目の前の仕事に対してだって脱線しまくって謂れのない説教を喰らっているのに、お前なんかが全く知らないコッチの前職や私生活の話まで否定され決めつけられた挙句に延々とそんな話を聞かされる筋合いは? あるというならどこに?
 だからお前のおっしゃる通り逃げさせてもらった。そんなことを言われてまで、出来ないと思ったものをココで無理にやり遂げる必要もない。お前は食えているから余裕があって、何かをお見通しにしてるつもりかもしれない。が、こっちは食えないうえにお前のような奴に言われたい放題の目に遭ってる。この差がそもそもわからないくらいならもう話すことなど何もない。
 自分の思う事、自分の中で正しいと思う事だけど延々と話し続け、しまいには相手の人格やこれまでの歩みまで否定してあまつさえ日々の生活から逃げ続けた挙句に引きこもりになってしまいに自殺しても苦痛からは逃れられない、だなんて最早意味不明な飛躍をしてでも説教もとい演説をやめない。その気持ちの良いことこの上ないとでも言いたげなご満悦のお前のツラをしっかりと見た。
 そんなお前の善人面が実は一番気に食わなかったよ。
 お前は正しいのかもしれないし、お前の中での正しさ、素晴らしさを追い求めていくことはお前にとっては良いことだろう。だけど、いちいち回りくどく話して何もかも自分の言いたいようにだけ言って相手の話など聞かず、自分の言うとおりにやればいいのに、とすっかりやる気をなくした人間にまだ言えるのと、ただひたむきに仕事に対して努力出来るのとは、全く別の問題だと思う。
 絵空事の理想と努力の話の前に、そもそも無理だなと思った人間とこれ以上一緒に居ることもない。どうせ二度と会わないのだから義理も無いし気楽なものだ。辞めた後で何か言うにしたって数日数時間の事、こっちのことなどすぐに忘れるだろう。それでいい。コッチもすぐに忘れたいと思っているし。

 無理だな、やめよう。
 それは会社に入って数日後の早朝だった。いつになく早くに目が覚めた瞬間そう思った。でも、実を言えばずっと思ってたことだった。それに、そのあとで手当ての申請をしたりすれば、まだ何か取り戻せることだってあるはずだ。だけど、とりあえず会社にそのことを正直に伝えよう。無理だ、これは。自分には。
 そう思った時に真っ先に相談したかった人が、その日ちょうど休みだった。嫌な予感がしたと思ったら二秒後に的中していた。もう一人の上司と共に部屋に入ったところから、ずーーっと
 だからワァシ(こいつの一人称はコレだった)は初めはこうして、次にこうして、それならば別に失敗も何も気にしなくていいし、万が一それで失敗してもこれこれこうすればいいと思ってるし、んでそのまま次はこう、そして……と延々と話し続けた。いや最早こちらの耳には何も届いていなかったので、話しているというよりは鳴き声に近かった。
 だから、何も言えずに適当なことを言ってしまった。それはそれで本当なのだが、ちゃんと思ったことを正直に話したかった。

 私に仕事を教えてくれた人も、明るくて親切な人だった。だけどあの善人面は、その人のせいにしようとしていた。いや完っ全に自分の得手不得手の他にあるとすればお前だけど……とは言わないまでも、その人は親切だったし、なんなら真っ先に電話を入れたぐらいだ。絶対にその人は悪くない。だけど、善人面が周囲にどう話すかはわからない。何故ならこの会社の新人の教育係がコイツだからだ。
 この辞め方をされたら、コイツだって何か言われるに決まってる。そのときに、誰かを悪者にしないとは限らない。善人面してられるのは自分が安泰な時だけだ。自分より立場が弱くてモノを知らないでビンボーな奴が居るから自分だけは善人面でいられる。全部なくなったら善人どころかそれは貧民だ。
 わかるまい。何もかも無駄だったと諦めて、また最低賃金に毛も生えないような給料でやり直すことになった人間のことなんて。わかるまい。どうにか食えるだけの稼ぎを得るのに年がら年中働きづめで、もう端末の着信音すら嫌になったような生活も。
 わからなくていい。だが、決めつけられたのは無理だった。
 食えてる人間が食えない人間を善人面して抑えつける
 まことの地獄というものは火の海でも針の山でもなく、ぬるま湯なのだろう

 あの会社をああいう辞め方で去ったのは間違いだと思う。
 でも、あいつとあれ以上仕事しないで済んだのは、良かったと思う

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