青看板の白い矢印が延びる
左右それぞれの行き先から浮き上がってくる真ん中の表示
看板を飛び出して青い青い空に向かって延びる延びる矢印
海を見に行く。
もう秋も終わり冬の始まりだというのに、気持ちのどこかが夏の尻尾にしがみついてる。
ゆうべ作って台所に置きっぱなしだったサラダのように、端々がしおれて切り口が乾いて、少し色が変わってしまっている。
そんな記憶の変化に本当は気が付いてる。
別に何も用なんてないんだ。
ただクルマで自宅を出て南へ、南へ。緑から黄色へ変わった街路樹の向こうで、赤から青に変わった信号機。クルマが少ないなと思ったら日曜日だ。
もう別に何曜日でも関係ない。
このクルマに乗るのも自分一人になってしまった。
この夏の終わりが私の終わりだった。
ハンドルを握る手にじっとりと汗が染みる。
窓を閉めて走っていると、昼間の陽射しがまだ少し暑くて不快だ。がらんとした後部座席には愛用していたカメラと眼鏡、空っぽの助手席にちょこんと乗せたジュニアシートの背もたれでアニメキャラクターがニッカリ笑う。ドリンクホルダーには好物のミックスジュース。
いつも通りだ。
さあもうすぐ着くよ、と声をかけてアクセルを踏み込んだ。
カナブンが飛んでいった
目の前をブーンと
緑色のボディが朝の陽射しを浴びて
キラリと輝く
里山の緑に紛れて
どこかへ消えていった
何もない空き地にクルマを停めた。
国道から県道に入り、海沿いの田舎道をさらに進んで行った先にある砂利と雑草の空き地。トラロープで簡単に仕切っただけの場所だが、ササユリのシーズンだけは仮設の駐車場として使われているところだ。この場所を見つけてきたのも彼女だった。人の多い海がキライで、ゆっくりと波の音を楽しみたかった私のために。
砂利道からアスファルトの一本道へ。遠くまで伸びた道路の先に空。
過ぎて頭からひっくり返って落ちて行きそうなくらいの空。
蘇る蝉時雨、滴る汗、ゆらめく陽炎は悪夢の呼び声、じりじりと肌を刺し跳ね返ってビルケンシュトックを焼くカンカン照りの陽射し。
遠くで海鳴りが聞こえる。
道路を右に折れて、すぐそばの角を折れたら舗装の崩れた悪路に入る。
木陰が陽射しを遮っているうえ海から吹き上げてくる風が冷たくて心地いい。
トンボやアゲハチョウが飛び回るなか、狭くて急な坂道を降りて行く。君がはしゃいで走るのを彼女が優しくたしなめて、手を繋いで歩き始める。それを後ろで見つめながら、あの手を離さないでくれと祈る。
一度、坂の中腹に狭い駐車場と仮設トイレがある。古い、昭和の終わりごろに走っていたような自動車が置き去りにされている。
ボンネットのほとんどがさびて草が生えて、割れた窓から蔦がのびている。とっくに凹んだタイヤのゴムが風化して、もはやさび色の鉄塊となったホイールがむき出しのまま長い年月を過ごしてきたようだ。
よく見ると、中に大きなハチの巣がある。
ハチが出入りしている様子はない。
ここから先は車両乗り入れ禁止、という太いロープが垂れている。地面にくたんと横たわるように。もう乗り入れた奴がいるのだろう。デコボコを通り越してとんでもない悪路だが、どうやって入ったのだろう。さらに急な坂道を降りて行く。
眩暈がするような坂道で
眩暈がするような陽射し
眩暈がするような頭痛と
眩暈がするような潮騒が
しかめっ面した私を嗤う
自業自得の直射日光が
現実逃避ですっかり白く
細くなったこの体を刺す
海鳴りが強く響く。
脳の奥に、脊髄と背骨の間に食い込むように。心をえぐる高周波のせいで頭痛は酷くなるばかりだ。砂浜にたどり着くと、大きな足跡と小さな足あとを辿って波打ち際に立つ。
轟々と鳴り響く潮騒。
湿気を帯びて吹き抜ける冷たい潮風。目の前で持ち上がって崩れてを繰り返す波頭を見つめていると、暑さも、時間も、記憶も、痛みも、涙も、感情も忘れられる気がして。
轟々と鳴る潮騒が繰り返す。
砕けた波頭に陽射しが煌めいて、潮風に乗って虹がかかる。繰り返す。延々と。
砕けた波頭、煌めく陽射し、潮風と虹。永遠と。
振り向くと足跡。
自分一人だけの足跡。
君も彼女も、もう、どこにもいない。
誰も居ない砂浜。夏などとうに終わって、どこにも気配すら残っていない。冬の訪れとともに人の気配が去った砂浜に私はひとり。
自分の足跡を自分で辿って帰る。
クルマに乗り込んで、アクセルを踏み込んで。あと何度あの夏を繰り返すのだろう。あと何度あの夏を見られるのだろう。
潮騒だけが頭の中で轟々と繰り返す。
家に帰って眠りにつくまで。
潮騒が鳴りやまない。
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