第36回「ミカンと箪笥」(後)

 職人仲間たちは高齢で引退したり、現役のまま亡くなったりした。また作るのが非常に難しく斜陽とあっては後継者も育たなかったのもあって、ねじれ箪笥はみるみる衰退していった。集落は特産品の復活を期して直売センターを設けたり地方都市のサービスエリアやドライブイン、産直センターなどで現品の展示販売を行ったが、依頼はあっものの期待とは程遠くごくわずかにとどまり、その数少ない物好きからの注文も途絶えて久しい。
 やがて両親を亡くし、生活が逼迫すると妻も子供を連れて出て行った。それでも子供が小さなうちは電話や遊びに来ることもあったが、何もない田舎のこと。成長するに従ってだんだんと子供たちの足も遠のき、そのうちに電話も寄越さなくなった。最後に年賀状が届いたのは平成も半ば。
 以来、この集落でずっと孤独に暮らしてきていた。かつて世に送り出されたねじれ箪笥の修繕や移動など、昔馴染みの家から声がかかることもあり始めのうちは静かに余生を送っていたが、そのねじれ箪笥もだんだんと減り、やがて聖域のようだった工房は廃墟同然となり、今はただ一人で住むには寂しい程度の平屋住まい。
 今日も夕暮れた集落をトボ、トボと歩く足音だけが老人の耳に届く。かつての記憶ですら曖昧で、ぼんやりとした視界の薄皮一枚隔てた向こう側でいつまでもゆらゆらと続いている。
 もう何年も、誰とも口をきいてない。だからいつも聞こえてくる声は懐かしく、美しく、誰だかわからない声ばかり。
 まっすぐねじれた人生は、もう戻らない。

 老人は孤独な住まいに帰り着くと玄関ではなく裏庭に向かった。猫の額ほどの裏庭だったものが、雑草に覆われて最早単なる草いきれとなった場所にぽつんとひとつ。最後のねじれ箪笥が雨ざらしのまま置かれていた。すっかり色あせて所々剥がれたりしているがしっかりと立っている。
 これは、この老人が最後に作り上げた渾身の一品だった。細部に至るまでこだわり抜き、彫刻や金具まで凝った入魂の傑作。
 しかし完成こそしたものの高齢の注文者と連絡が取れなくなり、紆余曲折の末に訪ねてみると既に注文者は亡くなっていた。ねじれ箪笥は全て一点ものの受注生産であったうえ一つ仕上げるのに非常に時間がかかる。そして散々待ったのだから、と受け取りも拒まれてしまい結局は此処に捨て置かれてしまった。
 彼はそれ以来、ねじれ箪笥の職人であることも、また一人の人間であることすらもやめてしまったかのようにふらふらと生きた。
 背の高い雑草を無表情のまま節くれだった皺だらけの手でかき分けて、枯れ草の山から何かを取り出す。それは四本の半分干からびて半分腐ったような竹ひごだった。老人はそれを器用に折り曲げてねじって箪笥の最上段ですっかり錆びついた金具に取り付けると、最後に四つ順番にひとねじり。

きり
きり きり きりきり

 とねじれた竹ひごがほどけようとして軋んだ音を立てる。それと同時に、雨ざらしになっていた奇妙な箪笥が動き出す。かすかに、わずかに、あきらかに。
 ひょん、ひょん、ひょんひょんひょんひょん
 振り回された竹ひごが空を切る音がする。そして確かに箪笥は浮いた。ねじれた箪笥が宙を舞う。初冬の早い夕暮れ時の、黄色い風の中をゆっくり、ゆっっくりと飛んでいる。やがて箪笥は二メートルほどの高さまで浮かび上がり、老人はそれにそっと手を当てて愛おしげに目を閉じた。
 無表情のまま、無言のまま、老人はずっとそうしていた。
 何を思い出したのか、何もかも忘れてしまったのか。
 彼の顔に刻まれた深い深い皺が、再び動き出すことは無かった。
 老人は死んだ。
 徐々に動きを止めたプロペラが浮力を失ったことで、ねじれ箪笥が頭上から真っすぐに落っこちて老人を下敷きにした。夕焼け色に染まった背の高い草いきれ、里山のミカンたち、そしてねじれ箪笥から伸びた夕日の長い影。
 孤独な老人の最期を看取り、同時にねじれた墓標となったのは、彼の人生そのものでもあった箪笥だけだった。

第36回「ミカンと箪笥」(後)

2020.05.11

第35回「ミカンと箪笥」(前)

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